魂の在り方と意識・感覚

犬のしっぽのような習性(マインド)

マインドのバッタの様な癖

【マーヤ】は、人のマインドの複雑な構造のいたるところで機能している。
それは、とてもとても巧妙で、克服するのが難しいものだ。
人の性質は基本的に、非常に霊的で、かつ更正を望まないものなので、

本当の意味での霊性の成長、あるいは修行をして歩んでいくことなどは本当に成し遂げ難い事なのである。
霊性の道においての様々な成功を達成することはとても難しく、困難が伴うものだ。

なので、本当の意味では ただこの Divine Grace (聖なる祝福)のみが、求道者を闇から光の方へと引き上げる事が出来るのです。
人のエゴというのは非常に激しく、一人よがりで、反抗的な為、エゴは悪意に満ちた荒んだ状態から徳と善と聖人のような気高さに満ちた状態へと変わることを拒みます。
霊性の道においての到達を望むのに、単なる行為の放棄 で充分だと考えるなんて、なんと愚かな考えだろうか。

By スワミ シヴァナンダ
Translated by Misa




アプリの不具合(?)で、カテゴリ登録ができずずっと止まっていた翻訳記事(笑)
訳しきれないもの、訳すべきではない単語はそのままで記していきます。
訳しながら思うのですが、私は英語を日本語に置き換えて考えない人間のようで、翻訳は言葉の置き換えだけではできないなーと思います。
基本的に直訳に徹して、ところどころ単語のニュアンスを説明しながら文章の中に潜ませてます。
英語の原書を読むようになる以前は、英語的言い回しを使った日本語訳の文章を読みづらいと思っていました。
流暢な日本語表現で書かれたものの方が当然スッと読める。
けれど、洋書を英語で読むようになってきたら、今度は翻訳されたものを読む時に、英語的言い回しが残ってる「ぎこちない日本語」の方が読みやすいというか、原作者が言はんとしていることを掴みにいきやすい、と感じています。

ここでは、訳をさらに「私の言葉」に置き換えてしまうのではなく、
スワミ・シヴァナンダの表現のままで(かつ、出来るだけ日本語も読みやすいように)していきたいとおもっています。

英語を日本語に置き換えて考えないというのは、日本語を英語に置き換えて考える事ともイコールです。

「伝えたいこと」「表現したいこと」があって、それを日本語に置き換えた場合は、日本語で。
「伝えたいこと」「表現したいこと」を英語に置き換えた場合はこういう表現になる。
という感じで、その時の日本語の表現と英語の表現は「つたえたいこと」が同じであっても全くちがう表現で出てきます。

だから、私は頭の中で日本語と英語の変換ってしてないんですよね、ほとんど。

だから、普通に日本語で文章を書いていても、部分的に「英語で」しか表現できないものとか浮かんでくる。
「メッセージ」カテゴリに書いてるメッセージも、言葉のないところからのメッセージを【言葉】に置き換えてる時点で「翻訳」されてしまっている、と感じています。

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