インド哲学のうち、正統派と呼ばれるものは6派あって、
その他に、仏教やジャイナ教がある。
ヴェーダと呼ばれる聖典群を認めるか認めないかの違いだけれど、
全部ひっくるめて、「インド哲学」だと思う。
・・・と、まぁ私がサーンキャ哲学にたどり着く経緯を書いてたら終わらないので割愛するけれど、
とにかく、出会ったスワミジに、
「真剣にインドの哲学(叡智)を知りたいのなら、どうやってその思想が成り立って、変遷していったのか順番に理解していく必要がある。
ヴェーダンタ哲学を理解する為にも、まずはサーンキャを理解しなさい。」
と言われて、スワミジとマンツーマンのサーンキャ講座を毎日していたのが約2年前。
英語で説明された本を、必死でハイスピードで訳して、同時に頭に叩き込んで・・・
日本語に訳せど訳せど、理解できない思想に、
わっけ、わからーーーーんε=ε=ε=ε=ε=ε=(ノ; ̄△ ̄)ノ
と、思っていた。
「概要だけ学んでも、本当の意味で理解するには何年もかかるものだ。
焦らずに、学び続けなさい。」
と言われていた。
すっかり、遠ざかっていたサーンキャの色々な概念が、
パズルがはまったみたいに、ピタっと納得した。
サーンキャは、二元論の立場を取っています。ドヴァイダ哲学。
(ヴェーダンタは、一元論=アドヴァイタ)
この世は、プルシャ(精神的な根源)とプラクリティ(物質的根源)から成り立っており、
プルシャがプラクティと一緒になったことで、世界が展開していく・・・。
だから、あーで、こーで。
こーなんです。
っていう哲学なんだけど(←適当ww)、
はぁ。頭では、言ってることはわかるんですけど・・・。
・・・だから??
いや、そう言われても実感はないですし。
って、気分だったんだと思います。
が。
「実感」が、今はある。
【世界が展開していく】という表現ほど、的確なものはないのではないかと思う。
プルシャが、自分一人ではつまんなくて(?)、
プラクリティという物質的根源と融合することで、【作り出した】世界。
プラクリティには、3つのグナ(性質)があります。
サットヴァ(純性)
ラジャス(激質)
タマス(鈍質)
これを手にすることによって、プルシャは初めて【展開】していけるんです。
そもそも、1 なるもの(プルシャとプラクリティが結合した瞬間)が、展開して形づくっていった世界だから、
全てが同じ。
(頑張って例えるなら、細胞分裂とでも言うしかないか)
結局、ワンネス。二元論だけど。
プルシャは、【可能性】。
全てを備えた、無限の可能性。
私はそう思う。
土・水・火・空・空間
この世界の構成元素に「空間」が強調される点も、ずっと腑に落ちなかった。
「空間」!!!
大事な構成元素ですよ!
プルシャが【スペース】の中で、3グナを使って、
可能性を発現する!!
(≧∇≦)♪
可能性の塊じゃないか。
私も全ても。
いやいや、そもそも、可能性そのものだ!
と、瞑想中は静かな確信に満ちていて、
しばらくの間とか、ふとした瞬間は、【実感】に満たされているのだけれど、
マインドが働き始めて、マインドが活発になってくると、
だんだんとソレが、今までどおりの「知識」に戻っていく。
それでも、実感を知らなかった頃よりは、わかるけれど、
「そうはいっても、一歩を踏み出すのは怖い…>_<…」
って、怯えながら、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
体験を、「経験」していく。
小さな悟りを積み重ねながら、
一歩一歩、
いつか大きな悟りへと、辿り着きますように。
毎日の積み重ねが、ゴールへのステップ。
私はやっぱり、この学びが好きだ。
今日の記事の内容が、正しいかどうかはわからない。
今日の私の一日、明日の一日を、死んでから評価されるのかどうかもわからない。
でも、たった一つ、私の中で確実なこと。
私は、この学びが、好きだ。
そして、好きだと言える時、どうしようもなく幸せなこと。
(ん?2つになってしまった)
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