魂の在り方と意識・感覚

自分で歩く

ブログを読んで「勉強になってます!」って言ってくださる方がいることを、とても嬉しく思います。

ありがとうございます。

今日は、ブログの中でも特に伝えたい事を改めて書きたいと思います。

まず、読んでいただきたい記事が

神はどこにいるの?

目的地へ向かうための地図を探してばかりで、
様々なルートの地図を手にして、
頭の中にもしっかりその情報を記憶しているのに、

靴を履いて目的地まで歩いて行くことをせず、
「この地図じゃ辿りつけない!!別の地図も手に入れよう!」
ともがいているのは誰ですか?

私たちの師、すなわち神は、目的地までのルートを示してくれています。
光る道をただ、進めばいいのです。

それ以外の地図なんて要らない。

でも、その神の示してくれる光る道がわからない人もいます。

そのために、道を照らしてくれる役割の人たちがいるのです。
グルとは、「道を照らす」という意味。

私たちは、師が示してくれた道筋を、自分で歩かなければいけません。

先を歩いている先人たちは、
「こっちの道が明るいぞ」と教えてくれます。

でも、私の代わりを歩くことはできません。

インドではもしかしたら、「先生」と「生徒」それぞれの役割を教える教育もなされているのかもしれません。

数人のインド人から、日本人の「依存癖」について指摘されました。

一つあげてみると、

【生徒は、教えられたことを「実践」しなければいけません。
レストランで料理を注文したら、シェフは料理を作ってくれます。
シェフがどんなに美味しい料理を出しても、注文した人は自分でそれを食べなくては、美味しい料理を食べることができない。
シェフが美味しい料理を作るよと言っていても、あなたはそれを食べたいと思ったら、自分でレストランへ行かなければいけない。
それが教師と生徒だ。】

口まで運んでくれるレストランを求めて、
無駄骨をおっている事に気付けたら幸いです。

一体どこに美味しい料理があるんだ?と、探し回るのは、

多くの「ヨガを勉強している人たち、知識をむさぼっている人たち」に当てはまります。

自分の手で、料理を口に運ぶというのは、
【自分自身を知る】ということです。

つまり、【自分自身を知ろう】としさえすれば、
ガイドブックを買い込んでどこの料理があなたの舌を満たすのか探さなくても、

あなたは目の前にある美味しい料理を堪能することが出来るのです。

目的がすり替わっていないか、
常にチェックして、
自分の足で歩きましょう。




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