右でも左でもない。
上でも下でもない。
中庸とは、その天秤から降りること。
右でも左でも真ん中でもない。
相手の自由を尊重しなさい。
あなたは、「親切にしてあげよう」というあなたのエゴを相手に押し付けられなくてイライラしているだけです。
相手の反応に依存しているから。
本当に相手の為を思うのなら、相手の選ぶ選択肢があなたを不要とするものであってもまた、喜ばしいと思えるでしょう。
あなたはあなた自身の行為、在り方を選択しなさい。
問題は、あなたの中にしかない。
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一度しっかりと(内的に)区切りをつけ、
「誰に伝えていくのか」を明確にしたいと思って過ごしていました。
「魂から目を背けても、楽になりたい。」
そう思うことが悪いとは思いません。
それも、人によっては大切な経験です。
ただ、私は、「Mukti」すなわちヨガのゴール、解放を目指して歩みたいと願う人に向けてヨガを伝えていきたいと思います。
もちろん、私自身はそれを目指す以外には生きる意味を感じられないから、Mukthiを目指していきます。
いい ▽ 悪い
でしか考えない場合、
こちらが「良い」のであれば、あちらは「悪い」ということになりますが、
最近の私はどうやらこの二元性の軸から抜け出しているようで、
「良い」も「悪い」も同じだと思っています。
同じモノサシの中の目安に過ぎない。
楽しい ▽ ツマラナイ
も
暑い ▽ 寒い
も
正しい ▽ 間違っている
も、それぞれ同じ軸の中を右へ行ったり左へ行ったりしているだけ。
厳しく己を律することは大切だと思います。
ただ、自分自身をいじめる事に走ってしまう人も残念ながらいることも事実。
甘やかす ▽ いじめる
これも同じ尺度に過ぎない。
「右ではないです。」と言っただけなのに、
「じゃあ、左ですね!」と勝手に解釈する人がいます。
・・・いや、左だなんて一言も言ってないけれど???
ということが、とても多いんです。
実際のところは右とか左なんて単純な事じゃないので、
説明できることもあれば、説明する段階ではない事もあります。
だから、ずっと前から口を酸っぱくして書いています。
【勝手に解釈を変えるな。
自分の中で、翻訳するな。
そのまま理解しようとしなさい。】
と。
生きていくうちに、どんどん凝り固まっていく頭。
その凝り固まっていく思い込みを取り外したいと思って来ているはずなのに、
わざわざ、聞いた話を自分の制限された思考回路の中だけで理解しようとする。
はっきり言って、無駄だと思います。
思い込みの枠を抜け出せ。
マインドを超えろ。
言いたいことは、それだけです。
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