よく、「向き合うってどういうことすればいいの?」と聞かれるのだけれど、
私にとって
「正面から向き合う」
って事が常に何に対しても基本姿勢だったので、子供の頃は
「むしろなんで向き合えないの?」
と思っていたけれど、その気持ちがわかるようになりました。
私は、ずーっと長いこと一番近くで支えてくれていた人に、
「何でもかんでも正面から取り組むんじゃなくて、うまく目を背けて逃げることを覚えろよ!見てて辛いよ。
そう言っても、背けたらお前じゃなくなるし、お前は絶対に問題を避けたりはしないんだろうとわかってるけど・・・。」
と言われるほどに、目を背けることができなかったけれど、
自分の事を落ち着いてみればみるほど、それでも自分のいろんな問題から避けて避けて目を背けてきたんだなぁという事がわかりました。
今でも、たくさんの向き合えていないことがあるはずです。
そのことを、知りました。
その上で、「向き合う」という参考になれば、と思って。
ほんの一例です。
先月のこと、わたしはオーラを読んでもらいました。
オーラの一層は第一チャクラ、二層は第二チャクラ・・・と対応しているとのこと。
私のオーラにはたくさんの人の「思い」が入り込んでいるようで、
ある人は私なら救ってくれるんじゃないかと助けを求めて、
ある人は過去生からの因縁で。
(みんな無意識にですよ)
その時に、母親と彼氏との過去からの強い強いお互いの問題が浮上しました。
その二人が、私の邪魔をしていた。
私が自立しないように。
詳しい事は割愛しますが、その後数日、私は理不尽だと思いながらも、母と彼氏に対してイラついて仕方なかった。
彼らの一言がしゃくに障る。
瞑想しても落ち着かない。
ノートに思いを書き出してみた。
考えることにした。
ひたすらノートに書き出す(日記)は、昔から私の一つの浄化法。
どうして、過去にそんな酷い事をされてなお、私たちは出会うことを選んだのだろう?
自分に依存してずっと手元で可愛く育ってくれる女の子が欲しいのなら、そういう素直でお母さん思いのかわいい女の子は他にいくらだっている。
私を選んだ時点で、自分の欲求が満たされないことはわかってるハズだ。
こんなにも気が強くて頑固で、「正しく生きたい!!」て、どう考えても面倒くさい子・・・だよね。
かつて悟れなかった私のグル。
戦った相手。
何度も夫婦だった人。
でも、憎み続けたいのなら、出会うこともしなければいいのに。
・・・多分、私に期待してるんだ、と思った。
私が自分自身を過去から解放すれば、
彼らも私から(私と関わる過去生から)解放される。
解放して欲しいんだ。
自分でつけた枷を、解いて欲しいんだ。
そう書きながら涙が止まらなかった。
ふと、数年前に
「書いて瞑想しよう!」
と思って二時間くらいペンをひたすら止めずに書き続けた時に、
「だれか、私の足についてる枷をといてくださる?
重くて重くて仕方ないのよ」
って脈絡もなく出てきた一文を思い出した。
きっと、みんなそうなんじゃないかな。
自分でどこかに縛り付けてしまって、
「誰かこれを解いて」
って思っているのかも。
じゃあ、私が解いてあげるよ。
それを解消するために、わざわざ生まれてきたんだから。
そのためにわざわざ出会ったのだから。
と、思った。
それだけ。
問題を認識しただけ。
何かを決意しただけ。
完全には解消されていないと思うけれど、以前とは比べ物にならないくらい、
状況は進展した、と思う。
ついでだから続きます☆

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