魂の在り方と意識・感覚

let it be


先日の「スピリチュアル産業」っていう記事で、

ヨガは厳しい道なんだ!

って思ったかもしれないけれど、これこそ価値観の違いで、言葉での説明が難しい。

厳しいと思うか楽だと思うか・・・。

少なくとも私は、以前よりもずっとずっとラクです。
これほど楽な道はないと思ってます。

ただ、「自分を不幸に縛り付けている」原因である価値観を壊したくないと思ってる【無知・無明】というのが、世間一般の価値観で、

そんな世間一般の価値観をもってしたら、
「厳しい道のり」
なのだと思います。

ただ、もうその価値観には私はほとんど基づいていないので、すごく楽です。

悩むし考えるし迷うし落ち込むし不安にもなるけど、
全然苦しくありません。

一生懸命悩んで、精一杯反省して、
思いっきり楽しんで、
心から喜んで、

喜びも悲しみも、苦しみも幸せも目一杯「味わった」!!!

って思って死にたいです。

だって、この人生はそんな喜怒哀楽や失敗や挫折なんかも想定しながら、
本当は「光」しかなかった
って気づく為だけのリーラ。

神々の遊び、ゲーム

なのだから。

神々って、私たちのこと。

失敗は、学びに繋がるからすればいい。

ただ、何もしないという安全策は、諸行無常でとどまることのないこの世において、
「退化」するだけ。
ゲームとして何も面白くない。

楽しくないことを楽しむ必要なんかない。

幸せじゃないことを幸せだと思い込む必要もない。

ただ、それをそのまま味わえばいい。

それを、そのまま、あるがままの状態で。
Let it be

そしたら、どれをとっても行き着く場所はただ一つ。

「あ、既に私たちは光そのものだったんだ」って気づくだけ。

それが、お釈迦様の悟ったこと。
「あ、既に 何もしなくても、満ちてた」って。

悲しみは悲しみのまま、
喜びは喜びのまま。

悲しみに理由なんて要らないし、喜びに意味なんていらない。

ただただ、何もしない、何も加えない。

ただただ、あるがままに。





ターリ、2012年当時はまだ45ルピーだった






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