魂の在り方と意識・感覚

日本にあるヒマラヤ



この数ヶ月、毎週のように「今週はさらに意識の変容が激しかった」と思うのに、
先週木曜日から日曜日までの4日間がとても濃かったので、駆け足で書けるところだけ書いてみます。

意識の部分はうまく説明できないかも。

木曜日、友達の家の近くにあるという滝行できる所へと遊びに行ってきました☆

その子は、私の(心の中で)一番のヨガ友。(というか心の師匠)
ふらっと行った一回目のインドも、
二回目のインドも、
入国日が同じ。
二回目のリシケシに入った日も、リシケシを発った日も同じ。

そして日本でも近くに住んでいる。

今日いったところは、
お不動様でした。

以前、この子と比叡山へ寄った時に
(その時も
阿闍梨に呼ばれて)たまたま入ったお寺も不動明王でした。

その子自身から、不動明王の確固たる意思の強さみたいなものがあふれていて、「やっぱり彼女は、山で修行をして精神を強く鍛えてきたんだろうなぁ」と思いながら、どんどん登った。

今日は寒いし滝行はしなかったけれど(笑)、一通り時間をかけてお参りをして、ハイキングコースから頂上まで登った。

頂上にある祠でお不動様を前に2人で座って瞑想をした。

とても長い時間に感じたけれど、実際はわからない。
一時間だったかもしれないし、10分だったかもしれない。

とても澄んでいて、空気が薄いと言ったらおかしいかもしれないけれど、
とても波動の高い所だった。

狭い祠で真となりにいたはずなのに、気配が全くないので、
瞑想中、「Mちゃん、消えたな。」って思ってた。

瞑想があけて、ゆっくりとここに戻って、天狗の像を回ってハイキングコースに戻ってから、
「みさちゃん、自然の中に溶け込んでるような感じで、あそこにいなかったよね。気配がなかった。」
と言われて、
「えっ、私、Mちゃんの気配もエネルギーも感じなかったから、消えたな、さすがヨギ、って思った!」

と、どうやらお互い微動だにせず座りつずけた模様。
その後、姿を消せるヨギについて、「今のうちらだからわかる概念」と、昔思ってた「消える消えない」の考え方で言ったら・・・
みたいなことを話していた。

絶賛成長中の私たち。

多分、今日の話は二年前にはどちらもできなかったこと。
だからいつも、それぞれが学んできたこと気づいてきたことが、それぞれの次へと繋がる。

そこで瞑想するまでは、そんなに話さなかった。

その後堰を切ったように数時間話し続けた。

一年前、インドで時々あっていた時には、彼女は前世を知らないし感じたことがないと言っていた。

彼女は、とても感覚が鋭いので、当然生まれながらに知ってるものだと思っていたので、
「あぁ、視てもらわなくても[記憶がある]私って珍しいんだ」
と思ったのだけど、

どうやら何度も縁のある尊敬する魂に出会ったようで、
その大志を抱き改革する人にきっと何度も付き従っていたのだという事が、腑におちる、と言っていた。

私は、いくつか過去生とそれにまつわる今を話しながら、
一生を神か仏に捧げたのに悟れずに、普通の幸せを知ってる家族友達を憎んでしまった情けなさ、
偉業を成し遂げた聖人に、世界のためになんて聖人にならず、ずっと私のそばに普通にいて欲しいのにと願ってやまなかった自己中心的な欲望、
肉体を持っても自然と一体のまま村に属さず森で生きていたけれど、人間に恋し森の結界が崩れ死んだ?事で、人間を恨んだこと。
心も、現実も、どちらをも受け入れられなかった日々。

山を降りながら、話しながら解放されていくのがわかった。
全てではないけれど、誰にもここまで詳しくは打ち明けられなかった事、
ずっと抱えてきた苦しみが山の清らかさで取れていくようだった。

2人とも、それぞれ苗字が根本の性質を表しているんだよね。

その山で修行してきた聖たちの像があちらこちらに並んでいて、それぞれのグループが放つエネルギーの個性が全然違ったんだけれど、

Mちゃんにソックリな像があって、
その後しばらくして、Mくんにソックリな像があった。

Mくんは、私たちが初めて出会ったアシュラムにひょっこりやってきた子で、その後ずっとインドとネパールだけで過ごしていて、
インドでは「ジャパニーズMonk(僧)」と呼ばれるほど顔が変わってしまった。
今はめっちゃ穏やかで欲のない素敵な顔をしている青少年。

ここは、私たちのバックボーンか!!!

と思いましたが、私のそっくりさんはいませんでした(笑)



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