魂の在り方と意識・感覚

若くして人生詰んだ奴の話

私のことなんだけどね。笑

私さ、コロナで世界中が次々とロックダウンされていって、国際的な動きが再開されない、国内も自粛制限が続く中で実家に帰ることを決めた時、思ったんだ。

私、多分、今はここ(地元)にいなきゃいけないんだな。って。

好きじゃないの。
ずっと海外にいたから、家族と過ごせる貴重な時間は有り難いと思うようになったけれど、
そもそも地元が好きじゃないんだよね。

中学も、高校も、大っ嫌い。
地元にいなかったら思い出すこともない、考える事もない様々な事が頭をよぎる。


だからこそ、向き合わなきゃいけないんだろうな、と思った。

面白いことに、イヤ〜な感覚とともに思い出されるのが、同級生のお母さん達の表情なの。
よく同級生のお母さん達の顔なんて記憶に残ってるもんだよね。
自分でも驚いた。

同級生のお母さん達の思考や価値観こそが、私が最も嫌悪してきたものだったんだ。

凝り固まった価値観の大人達が、私の憎しみの対象だったんだ。
彼らの言葉や、表情にたくさん傷ついてきた。

彼らの娘達と違って自由奔放で男勝りな私は、明らかに見下されてた。

あの目が、彼らの一言が、友達を通して聞いた「お母さんの何気ない私に対する言葉」が、その価値観に従えない私を苦しめた。


こんな狭い世界にいたくない。
そんな古い価値観に縛られていたくない。
こんな見栄と競争の世界にいたくない。


「あの息苦しい世界」から逃れるために、私は精神的にも物理的にも、必死だったんだ。

「世間」に比べたら、「家の中」は安全だった。
変な子でいても認めてもらえるから。
心配はされるし、親と価値観の衝突はたくさんあったけれど、私の親は同級生達の親ほど見栄とプライドに凝り固まってはいなかった。

でも、一歩外に出れば批判に晒される。そりゃ引きこもりになりたくなるよね。


だからいっそのこと海外にいる方が心地よかった。
もしかしたら、東京とか大阪とか、どこか日本国内でも良かったかもしれないね。周囲の「親御さん達」の評価を聞く必要がなくなるから。

もうほとんど繋がりなんてないから、実際に聞く機会なんてないんだけど、
子供の頃のトラウマで、周囲の噂話が怖いの。
もう誰も私のことなんか気にしないってわかっているのに、それでも怖いんだ。

地元は小さな町でもないのに、兄も私も目立つ方だったみたいで、高校を卒業してからだって、全然関係ないと思うようなところで色んな人が一方的に私たちを知っている事が良くあった。
(普通に怖いんだけど・・・)

中学生の頃は、私の一挙手一投足が毎日のように噂された。
噂は有る事ない事どんどん膨れ上がって、アホらしくて否定せずにいると否定しない事が肯定の証だとか言われてさらに大きくなって。
私から離れたどこの誰の事かもわからないような噂話を本気にされて、
子供達からだけでなく、大人達からさえも身に覚えのない中傷を受けた。

大人達もみんなアホ。
そもそも子供達が自分で事実確認をできずに、噂をさらに広めておいて傍観者のようにいられるのも、アホな大人達に育てられているんだから仕方ないのか。
くだらないし、幸せじゃないんだろうな。

くらいに毒づいていた子供だった。
せめて自分の中では、そう毒づいていないと自分を保てないくらい、必死に聞こえてくる声と闘ってきた。

様々な問題があっていちいち面倒なことに巻き込まれてきたけれど、具体的な話は今日は割愛する。

ちなみに、その頃の私はいつか絶対、この人たちが足下にも及ばないほど有名になって、今起こっていること、誰がどんな卑劣な事をしていたか、全部本に書いてやる!という謎の復讐心を心の糧にしていたw
(じゃあ、今後復讐したくなったら、ブログで書こうか。誰得w)

高校で早速ゲームオーバー

家から一番近い高校に行ったら全国トップを争うような進学校で(知らなかった)、全てを偏差値でしか判断しない世界観に早々にドロップアウトした。

今風にいうなら、 「 人生詰んだ。」
          (↑ 最近覚えた日本語)

うつ病の症状にほとんどが当てはまり、一人になると涙が止まらず、大きなトラックを見ると自分が轢かれて死ぬ姿を想像した。
生きている意味がわからなかった。

頭がうまく働かず、授業もほとんど集中できなかったから、ひたすら日記を書くか眠っていた。

なのになぜか成績が悪くなかったので、理系なのに文系学部とも迷ったり、偏差値関係なく勉強したい大学の学部を志望校に書いていたから先生達に目をつけられ
やりたい事よりも取り敢えず旧帝大のどの学科でもいいから(ただし理系)受けろ、と言われ続けた。

そもそも、
高校を受ける時だって校風や制服(!)や、普通科じゃなくて専門課程のある他の高校を志望校にしたら、
「取り敢えず●●高校に行けばその後どんな勉強がしたくても好きに選べるから、●●に行っておけ」
と中学の先生に丸め込まれて高校に入り、
今度は高校の文理選択で
「取り敢えず理系に行っておけば、受験の時に文系学部を受けたくなっても受けられるから、理系にしておけ。文系選んじゃったら、理系受験したくてもできなくなっちゃうぞ」
と言われたから理系に進んだだけなのに。

進路志望に文系学部を書いたら、「なんで理系科目の点数が取れているのに文転する必要があるんだ!理系学部に行け」と言われて、先生の目の前で進路志望表を書き換えさせられる日々。
めげずに毎回、素直に文理も偏差値も関係なく記入。→ 書き直しをさせられる。
今思うと脅迫、強要。立派な犯罪だよ!

疑問も持たずに受験と偏差値競争にまっすぐ突き進んでいく同級生達。

私の心はいつも闇に覆われているのに、なぜ気の合わない同級生達と学校で笑えるのか、自分でもわからなかった。
リストカットなんて言葉も知らなかったけど、なぜかその行為は私を安心させた。

優等生の同級生達は私のことを、ただの不真面目なお調子者だとでも思ってただろう。
課題はやってこない。
授業もろくに聞いてない。

でも部活と、遊びは全力で、テスト週間にはみんなで楽しそうに勉強してたし。
私の病んだ心になんて、誰も気づかなかったって言ってた。

けど、
わからなかったのは、聞く耳を持っていなかったからだよ、と、かつての私は言いたかった。

私は色んな友人に心の話をした。
悩みや、葛藤を打ち明けた。

でも、ほとんどの人は見て見ぬふりをしたよ。
そういう話は聞きたくないって。

自分の心の葛藤にすら向き合えない人たちに、人の心の声が聞ける訳が無い。
私は、私の苦しみを吐露することは、友人達に苦しい思いをさせるだけだと気づいて、心を閉じて距離をとった。

私の存在や、私の人生に対する疑問は、受験に向かっていく同級生達の邪魔にしかならないと思ったら、教室へ行けなくなった。
話しかけても欲しくなかった。

教室にいたら、みんなと「ちゃんと」雑談しなきゃいけないと思うとプレッシャーで、授業の途中でも保健室に逃げこむようになった。



私はいつもきちんと自分の希望をごまかさずに自分の心に聞いて考えて、
同級生達よりもずっと真剣に自分の進路の事をまっすぐ考えてきたと思うのに、
そしてそれはその都度先生達にも伝えてきたのに、

●●高校の理系にいたらなんでも好きな将来が選択できるぞって言われていたのに、

偏差値の高い将来しか選んじゃダメ、って一体なんなの!!!??? 
誰が決めたの?
それじゃあ私がやりたい事はできないって事じゃん!!

と、納得がいかなかった。


はじめから自分と向き合わず、自分が何を勉強したいとかどんな体験をしてみたいかなんて心躍らせることもなく、
周りに言われる通りに、周りに「凄い」って言われることを迷わず選び続けられる子達だけが、
「普通に」生きられる世界なんだと思った。



希望なんてなくて、誰にも声が届かなくて、
なんで人間達は、環境を破壊しながら、見栄と欲望の為だけに、表向きだけは立派な中身のない大義名分を掲げて生きてるんだろう。
なんでそれでも死んじゃいけないんだろう。

こんな世界、生きてる方がずっと罪じゃん。

大人になって、広い世界を知るまでは、ずっとそう思っていた。

けれど、大人になる事で救われた

大人になって色んな人に会い、世界が広いことを知った。

自分のいた高校が、とてもとても視野の狭い限定的な世界だった事を知った。
もっともっと幅広い将来を高校生の時に選択して、楽しく素敵な人生を送っている人たちがいる事を、徐々に知っていった。

出会った人たちが見せてくれる価値観や世界は、私に希望を与えてくれた。


一歩ずつ視野を広げて世界を広げて、ここまでやってきて、今更当時の事で苦しくなることはないんだよね。

ほんと、狭い世界から抜け出せて幸せ。

10代の頃は、抜け出すために痛い思いをたくさんしたけれど、痛い思いをしてでも抜け出そうとしてきた当時の私って凄いよね!!って思っている。
これが私の強さであり、繊細さの賜物だもの。

社会的に挫折していたとしても、
社会不適合者だとしても、
周りの価値観や反応はともかくね、私は私の生き方、在り方、歩いてきた道に誇りを持っていて、それは他の人たちが歩いてきた道と同じように素敵だと思っているんだよね。

今、私のいる世界では。

それでも、今年急に地元に戻ってきて、地元でしばらく過ごすのかと思うと、憂鬱になった。
なんて言ったって、高校が近すぎて嫌でも生活に入ってくるしw
いつどこで誰に出くわすかわからない。
面倒くさいし、あのジャッジメンタルな目で見られるのかと思うと気分が落ち込んで、

私はまだこんな部分が癒せていなかったんだ。

って思った。

同級生の母親達の目を思い出して癒そうとすればするほど、気分が悪くなった。
狭い鳥かごの中に入れられているような気がさえした。


・・・のですが、

結構あっけなく抜け出せた(笑)



ここまでダラダラ書いてきてなんやねんって思うかもしれないけど、抜け出せたらほんと呆気なかった。
だから、これを感じてたの5月なのに書く気にならなかったんだって。
だって、アホらしいんだもん、自分が。

同級生の母親達に会ってまたなんだかんだ色々とジャッジされるのが、確かに怖かったし憂鬱だったんだ、今年の5月くらいは。
「だから地元には帰ってきたくなかったんだよ。」とか、
「今はこの気持ちと向き合って、この傷を癒す時だよね」なんて友人に話したりして。

まぁ、そこを重点的にヒーリングしてたから気持ちが変わったのかもしれないけど、
なんかね、

「私は今、地元にいても、過去じゃなくて 今 を生きてるんだ」

って事が腑に落ちたら、どうでも良くなっちゃった。

上に書いたことは全部過去の話で、確かにそういう事はあったし、別にその当時出会った人たち皆を好きと言えるわけじゃない。

でも、わざわざ会う必要も連絡する必要もないし、仮に会ったとしても、その人はその人、自分は自分だなって。

その人はその人の生きたいように生きて、その人の大切にしたい価値観を持って生きればいい。
私は私にとって大切な価値観を大切にしているから。

昔、まだまだ私が、私らしくいられなくてもがいていた頃は、彼らの事が許せなかったし怖かった。

でも、私は今、彼らがどう生きてようとどう考えていようと、私のことをどうジャッジしようと、一切関係なく、もう既に私の生きたいように生きているんだよね。

彼らがどう考えようと、どう楽しもうと、どう苦しもうと関係なく、

私は出会えて嬉しい仲間達と、共感できる仲間達と、生き方を共有できる仲間達と、今を生きてる。



だから、「同級生の母親の目」なんて恐れは幻想でしかなかった。


「私の今」が、過去を救ってくれたんだ。
だから、これまで経験してきたこと、出会ってきた人たち、今、(心理的に)周囲にいてくれる人たちのおかげだな、と思いました。

だから、今がどん底でも気にするな

なんか、何が言いたかったのか良くわからないけれど、ちゃんと書いておきたかったんだ。
もともと才能あって上手く人生を生きてきたかのように思われる事があるから、全然違うよって。
高校生で人生詰んでその後「ある程度の普通の人に」戻るのが大変だったって、結構なハンデだと思うんだよね。

それでも、大丈夫なんだよ、という事を伝えたかった。
私から見たら、多くの人が嘆いている境遇でも、色々と恵まれてるじゃんって思うんだよね。
もちろん、人と比べだしたらキリがないけれど、世の中のほとんどの人が、大人になってから何か挫折して仕事や何かを失う事が多いよね。

何もかも失ったかのように嘆いていらっしゃるけど、
あなた、それまでの学歴なり職歴なりがあるんでしょ?
っていう人が多くてですね。

それって当たり前って思ってるかもしれないけど、あるのとないのじゃ大違いなんだから、
「少なくとも私にはこのアドバンテージがあるぜ!良かった、ヘヘッ」
くらいに加点しておこうよ。

って言いたかった、かな。笑

そもそも「詰んだ」んじゃなくて「ようやく解放された」んだ


私が苦しんだのは高校生からだけど、多分社会的に「詰んだ」のは22才で学校辞めて引きこもった時になるのかな。

学歴に反抗して大学に行かずに自分のやりたいことを選んだくせに、それさえも中退した、と。
誰も私が偏差値重視の価値観に反抗して自分の意思でその道を選んだなんて知らないから、普通に「あの子、どこも志望校受からなかったんだよ。かわいそう」って言われていた若かりし頃。
さらに「そこも辞めちゃったんだって〜」って憐れまれてね。(´・_・`)困惑


でも、その中退して引きこもった時に、徹底的に心がどん底まで落ちて、光を見た。
「世間的には」その時期が、人生の暗黒期とでも言えるのかもしれないけれど、
私にとっては、その時期が「立ち直り」の時期だったんだ。

その時にヨガも始めたし、スピリチュアルな感性をようやく取り戻せたからね。

高校生、もっと言えばそれ以前から苦しんできた、世間の価値観に対する違和感から、ようやく自分を解放する事ができた時だった。
それまで、自分の中にある光を消さないように、これが私の宝だから、誰に批判されようと私が守らなくちゃ、と必死だった一方で、「世間に合わせる」為にも一生懸命でどっちつかずだった。

それを、「世間」を全て手放して、失う事で、
ようやく、「変人」としての自分を肯定しながら生き始める事ができたんだ。

世間的に大切にされているものを全部失ってでも、失いたくなかった心を、守りきる事ができた。

私は、その事をその当時からとても誇りに思っていたし、
その頃の私がこの心を守ることは、将来多くの人を救う事になるってわかってた。

だから、自分のためだけじゃなくて、未来で出会い関わるたくさんの人のために、この輝く「心」を守ろうって思ってた。

だから、世間的には健康も含めて何もかも失ったように見える時期がね、
私にとっては、ようやく自分らしく人生を生き始める事ができた記念すべき幕開けだった訳
で。

いつまでも同じ所から同じようにその出来事を見ていたら、いつも同じようにしかその意味を感じられないかもしれないけれど、
もしかしたらそこにはまだ自分が気づいていない人生の意味があって、
別の見方ができるようになると、全然違う味を楽しめるようになるよ。

もしかしたら今の苦しみも、過去の苦しみも、

とても幸福に包まれた、甘いお菓子のような出来事だったかもしれないよ。


なんて、

都合のいい事に聞こえるかもしれないけれど、
案外そういう事って大なり小なり経験してたりするよね。



では!




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