神様の名前が並ぶとなんだか背筋が伸びますね。笑
漢字だけでも素敵・・・。
さて、前回の続きで、伊勢に泊まった際の夜の瞑想中の記録です。
久しぶりに会った友人と話したい事は尽きなかったけれど、明日に備えて早々に眠る事に。
話に興奮していたからか気持ちが落ち着かず、眠れなかったので起きて瞑想をする事にした。
(興奮しすぎて、思い出し笑いをしそうになり、でも笑ったら友人を起こしてしまうから笑えず。
笑いを堪えていたらどんどんツボにハマり、めっちゃ苦しかった。
で、眠る事を諦めた。笑)
瞑想状態に入れば、眠っていなくても睡眠以上の休息が得られるから、「眠れない」と悶々とする事もない。
瞑想をしていると、どういう経緯だったかは忘れたけれど、自然と豊受大御神に語りかけていた。
その日の友人との話からなのか、その前のもやもやからなのかわからないけれど、
眠る前から、この the universe が与え続けてくれている「豊穣」「幸せ」「喜び」「恵み」といった豊さを私を通じてこの世界に更に与えたい、という漠然とした感覚があった。
だから、
伊勢市の中心部、高倉山の麓に鎮座する豊受大神宮は、衣食住、広く産業の守護神である豊受大御神をお祀りし、古くから内宮に対して外宮と並び称されています。
伊勢神宮ホームページより
皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。
瞑想を始めると、とても自然に外宮の空気を感じた。
そもそも、ほぼ外宮の敷地内にいるのと変わらないのだと気づいた。
だからとても当たり前の様に外宮の神様からの感覚を受け取っていた。
そのほとんどを翌朝には忘れてしまったけれど、
豊受大御神のもつ「豊さ」のエネルギー、その波動が私という存在に染み込んでいく。
その波動を受け入れながら、深いレベルで「豊さ」について理解していく私がいた。
その過程で、3月にアンダマン諸島でシュノーケリングをした時に見た海の底の色とりどりの魚達の世界を思い出していた。
大小様々の生物達の楽園。
リトルマーメイドのアンダー・ザ・シーがBGMに流れてくる。笑
多様性という豊さと、楽しさ、生きていることの喜び。
突然、何かを理解したかの様に、繋がりを感じてドバッと涙が溢れ出た。
意識が海の中、大地、様々な生物が共生し合うこの世界の多様性と、循環の全てと繋がっている感覚のまま、それを味わい続けていると、
豊受大御神から、
「明日、この土地の新鮮な海の幸を食べてごらん」
と言われた。(言葉ではない。あくまでも感覚的なメッセージ)
私は、極力ベジタリアンである。
基本的に肉も魚も食べない。
でも、地元で採れた新鮮で自然な恵をいただくのはとても当たり前の事に思えた。
普段の生活の中で入ってくる肉や魚の、不自然かつ不必要なエネルギー消費と工程をいくつも経てお皿に辿り着く食品とは違う。
この地の恵をいただこう、と思った。
(先に結論を言ってしまうと、翌日のランチで手捏ねずしを食べたのだけど、瞑想中に感じた「いのちの宿った食」とは程遠かった。
豊受大御神が言った「恵みの美味しさ」がどれの事なのか、真剣に感覚を研ぎ澄ませて探すことができなかった。多分、また行ってリベンジする。)
外宮の神様の波動を長い時間感じた後は、内宮に意識を向けて参拝した。
天照大御神の様に、私も天の岩戸から出て私の持つ光をこの世界に放ちたい、と。
これは結構学ぶのが難しい私の課題である気がした。
いじけて天の岩戸に引っ込んだ天照の気持ちの方に共感してしまって、
外に出てずっと世界を照らし続けているアマテラスの気持ちは理解できないのだ。
「世界にあなた(アマテラス)が必要だからって、外が気になってちょっと扉を開いた瞬間に外の世界に引きづり出されてそのまま太陽の役をやらされ続けてるのって、どんな気持ちなの?」
と聞いてみた。(あくまでも、感覚で、です。言葉はありません)
やらされている、とアマテラスに対して思うこと自体、
私自身が私という存在=魂を生きる事に対して抵抗しているのを良く反映しているよね、とも思っていた。
今はまだ外に出るタイミングではないような気がした。
でも、岩戸の外に出ないからといって、太陽が太陽でなくなるわけではない。
それはただ単に、「今」外に出るタイミングではないだけの事だから、岩戸の中であろうと太陽は太陽であり続ければいい。
春が来れば芽吹くいのちように、「外に出るか」どうかが問題なのではなく、
今この瞬間、ただ自分自身であり続け、自分自身を育み続けていることが大切。
早く外に出たいという焦るような気持ちがなくなり、
自分が中心に還ってくる感覚に浸り続けていると、今度は猿田彦神社へ意識が向いた。
私、順番に参拝していくつもりか?
道開きの神様。
さっきは外に出たいという焦りが消えていったというのに、すぐにすがりつこうとする意識が出てくる。笑
私の道を開いてください。
風のような素早さについていけない感覚。
意識が遠のいていく。
意識が猿田彦命についていけなくて、飛んでしまう。
眠っているわけでなく、覚えていられない。
体験はそこにあるんだけど、認識できない。
意識が深く沈んで、認識できないレベルで猿田彦命との対話を続けたり、
意識が表層に上がってきて深いレベルのエネルギーを認識できていないことを認識したりしながら、
半分眠り、半分起きて長い時間がすぎていった。
(体が辛くて横になって続けていた)
その後、月讀宮に意識が向かうと、
穏やかな心地よい波動と共に眠りについた。
実際には、外のエアコンの振動音がうるさくて全然熟睡できなかったのだけど、
意識の世界では心地よい揺らぎに身を任せて眠っている感覚だった。
翌朝は4:45に起床。
15分でアサナ、プラーナヤーマ、瞑想を終わらせて、支度をして外宮に向かいました。

まだ真っ暗な中での外宮参拝。
夜明け前のエネルギーって静かで好き。
全然寝てないけど、エネルギーいっぱいで長い1日を始められました。
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