魂の在り方と意識・感覚

仏教8大聖地にまつわる記憶

仏教聖地巡りから帰ってきてから 、
8大聖地って何!?と調べる私(笑)

いいんです。

行きたかったら、また行くから。


多分、今回は、とにかく感覚に従いたかったから、
余計な知識を持ち歩きたくなかったのだ。

懐かしく、思いの詰まった場所たち。

あとで、仏陀の足跡を地図と照らしながらしっかりと読んでみて、
自分の「感情」(過去生の記憶)に納得する。

そして、本には、私を救う言葉が書いてあるのだ。


仏陀や、仏陀の弟子たちの思いが、伝わってくる。

どうして、この土地に行った時にこの感情が出てきたのか、
本を読んで納得できるのだ。

イライラした土地ではイライラした理由が、
懐かしかった土地では、そこで多くを過ごしたのであろう記述が、

そして、最後に私がその人生で「生まれる前」を思い出した場所では、

最初の阿羅漢60人が、
この「真理」を世の中に広めようと、旅立った。

まだ、この真理を知らない人たちを、導く為に。


その60人(もしくはそれ以上)の、思いを感じた。
たくさんの「仲間」を。


誰もが、知っていた。

この生で、彼は「悟り」「ブッダになる」のだ、と。(ブッダ=真性を悟った人)


悟ってしまったら、その後一緒に転生する事は出来ない。


あの時、同じ時代を生きていた「誰も」が、
この一大プロジェクトの仲間だったのだ。


この偉業を成し遂げる為に、何かしら関わりたくて、色んな役をかってでた。


ある人物が、自分の弟だったのだと知った。

心が醜く、正しく修行を進められなかった(のかもしれない)出家者。
仏陀に反抗し、出家の身でありながら権力を捨てられなかった私の弟。

その人は、それ以前の過去生で、
仏陀その人にとても深い深い約束をしたのだと知る。




私が、その役をきっと成し遂げましょう、と。