ヨギ。
ヨガを行う行者のこと。(女性は yogini)
修行者は、サドゥー。女性は サドゥニ。
ですが、サドゥーは、出家遊行者を呼ぶことが多いかも。
語源としては、修行がサダナ。だから修行(サダナ)する人が、サドゥー。
今日は、ヨギであるという事について。
ヨガに興味のある誰もが、ヨギである必要はないと思います。
ただ、「ヨガを教える」立場にいる者が、その違いをわかっていないのは、いかがなものか?と常々思い、
勉強しております。
ヨギであるということを説明するのは難しいけれど、以前の日記から抜粋すると、
商業的ヨガは「誰にでも出来る」と謳う。
それはまぁ、正しい。
ヨガは誰にでも出来る。
けれど、「誰でもヨガの先生になれる」とも謳う。
これは、ヨガを勉強しているのではなく「実践している」立場からすると笑っちゃうほど、多分取り扱ってるものの「ジャンルが違う」。
ヨガをするということ。
それはとても辛く厳しい道のりです。
時に逃げ出したくなるでしょう。
しかし、一度、神(グル、アートマ、聖なる存在)に捕まったら、もう決して神の意思から逃げることはできません(笑)
とは、哲学クラスや、いろんな先生から冗談めかして何度も聞いたこと。
どれだけ神に(自分の魂に)抵抗したって、「No!!!」って言ったって、
神にやれって言われたら、結局そうなるんだ。
神の前で2人で結婚するって誓ってごらん。その2人はその後どんなに抵抗したって結婚するしかないんだ。
ヨギであるとは、そういうことだ。
悩みのある人とない人についての違いもいつか書きたいけれど、
一つ課題をクリアして、しばらく平穏な日々が続いたとしても、また何か「向き合わなければならないもの」が内側から浮上してくるでしょう。
怠けていたのかな?
調子に乗っていたのかな?
という原因もあるかもしれない。
けれど、もしあなたがヨガを生活に取り入れながら生きていたのなら、
きっとそれは、あなたが 「次の段階へと進む準備ができた」 から、新しいレベルの課題がでてきたのです。
それを乗り越えれば、あなたのレベルはまた一つ上がります。
そして、それは永遠に続くでしょう。
肉体を持って生まれている人間に、 「課題」の すべてクリアできている人はいません。
限りなく悟りに近い ヨギ たちであっても、彼らのレベルで まだ 課題があり、
それが全てなくなった聖者は神となり肉体を離れます。
だから、そんな人は歴史上に名を連ねる人だけだと思っていていいと思う。
みんな、誰だって、課題だらけでいい。
だから、私はとても浄化のすすんだ意識の高い 「先生」 に課題があるのが見えても、変わらずに尊敬できるし、
それをいつの間にか、超えてしまっている姿に、たくさんのことを教えられます。
だから、自分自身に課題が山積みであることを、悲観はしません。
確かに、自分の課題が見えすぎて 「あぁ~~。もう、いや。」 と思うことはあるけれど、
それでも、たくさんたくさん抱えているのに
「私は、悩みとかとくになく、平穏に生きてこれたから。」
と自分の課題が見えていない人に出会うと (たくさんいる。多分、見えているのは私と同じ修行僧タイプの人じゃないかな?)
乗り越えるべき課題が見えているだけ、
本来の自分は完璧な存在であっても、今の自分には解消するべきカルマがあることを知っているだけ、
私は、ラッキーだ。
といつも思う。
私たちの本質は、過不足なく完璧な状態です。
でも、問題は、私たち自身がたくさんの問題を生み出してしまっていること。
それは、すべて思い込みだから、何もかもなくしていくことができますよ。
誰だって、本来は完璧なのだから、全員が完璧な状態へと変わることができますよ。
だから、課題と思っているものを、一つ一つちゃんと見て、「問題じゃない」と認識しなさい。
そうしたら、もうその課題はクリアしたから、体験する必要がなくなります。
だから、誰にだってできること、なのです。
だけど、誰だって「課題を消化せずに、今すぐ完璧な状態」だけになれるわけじゃない。
ヨガというのはある意味、地味に、一つ一つ課題をクリアしていくことが求められる。
(それが、師のレベルが高いほどに同時に無意識下での解決も加速される)
昨今のヨガブームとか、スピリチュアルブームに抵抗があるのが、
その大事な過程をスコンと飛ばして、
「美味しい話があるんです」
って謳っているように思えることかな。
「あなたはそのままで完璧です」
これは真実ですよ。 あなたは今も、このままで完璧です。
でも同時に問題も存在しています。
それを、ちゃんと認識して教えて導ける商業ヨガの先生が果たしているのかどうか。
多分、彼らは健在意識に教えられたことを教えることができても、
もっと奥の、その先を、知らないから、教えることができないのだと思います。
私にそれが教えられるのかと言ったら、まだまだですが、
私はそこを目指しています。
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