魂の在り方と意識・感覚

スピリチュアル産業




昨日も・・・、本当は避けていたい話題を扱わざるを得なくなった。

けれども、一緒に集まって、そういう裏の話を聞けるから、グループレッスンは価値があると思います。

多分、ここのヨガに通っている人たちは、自分の芯を作りたくてくるのだと思います。

だから徹底的にまず依存という癖を取り除きます。

それが、多分流行のヨガやスピリチュアルや心理学なんかに言わせたら、
「わざわざ苦しいことをする必要はありません。私たちは頼り頼られ生きているのだから、頼っていいんですよ。」
とか言うんでしょうね。

言葉としては間違っていないけれど、それって結局根本は何も解決しない。

ヨガを教えていく覚悟。

それは、人生を導く覚悟。

まだそこに対する恐れが、確かにある。

でも、私はこの恐れは私の中にあっていいと思ってる。

つねに「こんなこといっていいだろうか?
あの子は大丈夫だろうか?
声をかけない、待つ、と決めたけれど、本当にあの子は自力でここまで戻ってこれるだろうか?」
と不安も心配もある。

それは、私がバランスを見失って暴走するのをセーブしていてくれると思う。

だからと言って、不安には支配されない。
不安のせいで、歩みを止めたりはしない。

不安の声をよく聞いて、それが教えてくれることはちゃんと聞く。でもその上で何が正しいのか、不安から離れた意識で考える。

ヨガは、霊性修行だ。

スピリチュアル産業には、芯を培う大切なステップが抜けている。

彼らの考えで言ったら、ヨガは「厳しい道のり」なのだろう。

けれど、歩きはじめたらわかる。

強さが要る、優しさが要る、賢さがいる。
だけど、どこよりも「祝福された道」であることを。

誰もが歩むことのできる道。
だけど、ほとんどがやらない道。

必要なのは、「やるかやらないか」の意思だけ。