魂の在り方と意識・感覚

魂の美しさの隠せない人



私は幼い頃より、自分よりずっと年上の方々と常に「意識」や「心」の話や道徳・価値観、社会問題などについて日頃から話していました。

私にとって、
「今自分が何を考えているのか」
「私たちはどう意識を変えて社会問題を見なければいけないのか」
という話は毎日誰かと交わして当然のことであったので、
同級生に、
「こんな深い話ができる機会ってなかなかないよね」
と言われるたびに、まるで自分の在り方がおかしいかのように思われて心を閉ざしたものです。

大人になってからも、
「今の年齢でその真理に目を向けていたいと思えることが凄いよね。私は、50歳を過ぎてやっと表面的なことから抜けてきたけど、若い時にもっと意識を変えられていたら・・・と思うよ」
とよく言われます。

ただ、今までは自分よりも年上の方々と「対等に」話せている、と思っていました。

今は、年がどれだけ幼なかろうが、「対等に」扱って話をしてくれた先輩方に頭の下がる思いです。
その時点で、彼らは偉大だ、ということ、そしてそうして関わってくれる大人たちがどんなに私を育んでいてくれたか、ということに視点が移ってきた。

ピアノをずっと習っていて、基本は週1回しか申し込んでいなかったのに、
多い時には週に5日ほど通っていました。

ピアノ以外に、社会のこと、人の持つ多様な価値観を教えてくれる先生でした。
私があまりに通うから、親はその分レッスン代やお礼を払わなくてはならず大変だったと思いますが、
「レッスンとしてじゃなくて、他の生徒のピアノの弾き方から、(自分の性格の欠点)を学びなさい。あなたができていないこと(主に私は自信を持てなかった)を、他の子はどう扱っているのか。」
と言うので、教室に座って見学したり、(ピアノの)問題を解いたりしていました。

私は先生のことを尊敬し慕っていたのだと懐かしく思います。
学校の問題、親同士のいざこざ、世界のこと、子供心に好奇心いっぱいで聞いていた事を覚えています。
(ピアノ自体が好きだった訳ではないと思う、私w)

大嫌いで軽蔑していた学校の先生にも、自分が正しいと思うことを貫いていたら、
「あなたにであって、自分が教師としてどうありたいのかを考え直しました。
過ちを認めることは、とても難しいことですが、今気付けて良かったと、今でも感謝しています。」
と、何年も年賀状をいただきました。

先生たちから、「あなたに出会って生き方をかんがえました。ありがとう。」
と言われることが、私にとって「当然のこと」だったので、
そう素直に言える先生方の素晴らしさに、私は気づけていませんでした。

見下していたのです。

「学べる」者こそ、偉大なのではないか、と思う最近。
教えることを生業にして始めて、先生や大人たちの大きさが少しわかってきた気がします。

彼らとの記憶から、これからもまだまだ学んでいく事がたくさんあるでしょう。
例え二度と出会わなくても、「教え」は尽きることがない。
私にそこから学ぶ意思があれば、彼らはずっと「先生」として導いてくれるのだ、という気がします。

そして、最近では大学生くらいの子達からの相談を受けることも増えてきました。
それが昨年の大きな変化です。

みささんに聞いて欲しいんです、と言ってくれた女の子。
インドで出会った時から、
「美しい子だなぁ。こんな風に、自分の軸を保ち誇り高く柔らかくいられる20歳って、何を悟ってるんだろう。」
とむしろこちらがずっと記憶に残って憧れていた子。

魂の美しい子だと思った。

そして、先日会って話を聞いていたら、一生懸命悩んでいた。

でも、やはり誇り高く美しい子だと思った。

可能性に満ちた子だと。

5歳年下というのは、実はとても縁のある学年で、大切な人が集まっている。
彼女たちは、私にとって「守っていきたいもの」。

彼女たちが上の世代の価値観や、それに疑問を持たない同級生に苦しんでいるのを見るたびに、

私はこの子達が可能性を発揮するために、
自分を使わなければいけない、と頭を下げたくなります。

考えてみたら、小学校6年生の時に1年生だった子たち。
小6の時に、ある一年生から相談を受けたことを思い出した。
何を話したのか、どんな名前の子だったかは思い出せない。
ただ、まっすぐな目で「みさちゃんと話がしたい」と、確か担任の先生を通じて頼まれて、何度かお話しした。

とても真っ直ぐで、聡い子だと思った事だけ覚えている。
確か会話自体はそれほど交わさなかったのだけど、当時からかんしゃく持ちだった私は、
その子の内に秘めた賢さと静けさにとても心を奪われて惹かれていた。

先日会った大学生は、その小1の女の子に似ていた。

在り方だけで教えを与えてくれる人たち。
やはり、私たちは、後から生まれてくる我々の師匠が歩きやすいように、道を整えているのではないだろうか、と思う。

下の子達の目の中に、魂の中に、秘めているものが私には眩しい。

そのために、自らを使役したいと思う。


Yoga Mukthi