魂の在り方と意識・感覚

インド行きを決める いじわるな神様2

前回の記事の続きです。

いじわるな神様2

土日のバイトでお小遣いを手にした私は、「ちょっとバカンス」へ行こうと思い立ち、
バリ島とかのパンフレットを眺めているうちに、「正反対の世界へ行きたい・・・」と思った。

というか、時間と少しのお金と元気のある今こそ、
私の心に巣食う闇と向き合って、根こそぎ処理をしなくてはいけないんじゃないか・・・。と思った。

インドに行きたい。
ヨガをしたい。

ではなくて、

ただ私は、「インドまで行って俗世から離れてでも、自分の心をいい加減なんとかしなくちゃいけない」と思った。

もう、先延ばしになんかしていられない。

なんとかしなくちゃいけないのだ。この心を。

ただその一心だった。





インドから帰ってきたら、また昔みたいにヨガのインストラクターでバイトして、あとは引き続き園芸店でバイトして、一年後にイギリスへ行ってハーブとガーデニングを学ぼう。と決めていた。

自分がインドまで行ってしたいと思っている「ヨガ」と、
日本に帰ってきてからインストラクターをしようとしている「ヨガ」は全く別物であるということはわかっていた。

でも、別に問題なかった。
疑問にも思わなかった。

結局何の情報も掴めないまま、とりあえず、ヨガの聖地と言われるリシケシまで行った。

そこでの10日間は、失望の連続だった。
どこのクラスへ行っても、私の求めているものはなかった。
有名なところも、マイナーなところも、綺麗な所も、「伝統的」と歌っているボロボロの所も、どこも私の心に響かなかった。

そのくらいなら、器械体操の方がよっぽど体も正しく使えて精神統一にもなる。
このくらいの知識の応用なら、理学療法士たちの方がよっぽど、体も意識も見通せる。
こんな見せかけのインドヨガのクラスなら、オシャレなモデルのようなインストラクターの方が、現代日本によっぽど役に立つ。

そう思った。

出会った日本人たちに、
「ホットヨガのインストラクターだった」ということを非難された。
あんなのヨガじゃない、ヨガのことわかってない、インストラクターの片隅にもおけない、真剣にヨガを学んで資格とってる私たちと一緒にされたくない、と。

こんなとこで、ありがたがって、そんなことしか言えない人たちに、【本当に大切なもの】なんて見えてないと思った。
ムカついた私は、
「そんな資格にも、インド帰りなんて経歴にも用はない。
私がレッスンで提供したいものは、こんなものじゃない。」
と結構言い合って、真剣に喧嘩した。

内容は、今書いてたけどまとまらなくて・・・、
当時の私はわかっていなかったけど、結局私は、「自分たちのエゴを満たすための【あなたたちの言う本当の(私にとっては全然本物じゃないけどね!っていう)ヨガ】なんかよりは、【オシャレに気軽にヨガしましょ♪】っていうあなたたちが心底軽蔑してるレッスンの方がよほど誠実だ!!(自分にもお客さんにも嘘ついてないから)
と言いたかったようです。

真剣に仲違いして名前も覚えてない出会いは後にも先にもこの時だけ。

インドのヨガに諦めかけたその翌日、
もうスッカリ、インドのヨガにハマってしまう事になるのです。(笑)


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