魂の在り方と意識・感覚

違和感の先に

誰にも伝わらない思いを抱え続けていた

2011年頃、フリーでヨガを教えていた私は自分の理想と、周りからの「アドバイス」にとても苦しんでいて、
世界は私の敵だと思っていた。

身体中にトゲをつけて、常に牙をむいてこの世界にいた。

そんな自分をどうしようも出来なくて、
嫌だと思っていたけれど、
でもどうしても、「何かがおかしい」って違和感から目をそらすことはしたくなかった。

小さな頃からの違和感が爆発して、私は毒を吐き散らした。

その頃の日記より抜粋
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世の中の仕組みがおかしくても、
それに合わせていかなきゃいけないのが、大人だ。
とよく言われる。
けど、私は、
世の中がおかしいのなら、
今ここから新しい仕組みや考えや生き方を創造していく。
そういう側の人間でありたい。
既存のワクに合わせなきゃってのは、楽。
職業「○○○ミサ(本名)」で、
ただ誰もが、その人になればいい世の中に。
私たちが苦しみながらももがくことが、
未来を生きる人の為になるように。
すごい人たちは楽しみながらやってる。
でも、私はあまりに未熟でお子様だから、
全然その域に達してないから、
違和感とか嫌悪感とかから逃げずに、問い続けて、
逃げない先にあるものに早くたどり着きたいです。

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脱皮しなければ、ヘビは死んでしまうと聞いた事がある。

そして、その脱皮も命がけだと。

世界に対して牙をむいて、怒りをぶつけて闘おうとする姿勢が、正しかったなんて全く思わない。
でも、あの頃の私を何度振り返っても、
「あの頃の私には、あの道しかなかった。」
と思う。

「そんなことしてたら、誰も周りにいなくなるよ。」
「そんなふうに何かを否定しながら生きて、幸せになれるのかな?」
そうやって、最もらしい忠告をたくさん受けた。
(最もらしいというか、ごもっともですね。)

それでも、違和感があるのに、表面上だけポジティブにするとか耳障りの優しい言葉とかにしたって、全然意味がないと思ってたから、
その時に自分がしている事の未熟さも自覚しながら、
ただただ、
怒りと、闇と、違和感の先にあるものに目を凝らした。

今の私なら、きっと言うだろう。
カルマは、解消されなければいけない。
逃げても、先送りしても、返済されない限り借金はなくならない。
だから、そのまま進みなさい。
」と。

命がけで、脱皮しようとしていたのだと思う。

その後、インドに戻ってとことんヨガに浸るつもりだった。
でも、インドのリシケシにいてさえ、ヨガをみつけられなかった。
有名なアサナの先生のアドバンスコースや、哲学クラス、縁あって入れてもらった所で神様の事や神への音楽(バジャン)、マントラ、そして伝統のカタックダンス。
誰よりも詰め込んで知識を貪っていた自信がある。

世界のヨガの首都リシケシにさえ、私の求めるヨガがなかった。

虚しくて、悲しくて、
「何かが違う!!!」
って叫びが何度も何度も涙とともに溢れた。

「ストイック過ぎるよ。そんな状態、ヨガじゃない。」
「ヨガの教えにもあるじゃん。リラックス、肩の力抜いて気楽にいこうよ。」

そう言われれば言われるほど、私の棘は鋭くなって、
肩にはいる力はつよくなっていった。

得意だったアサナも辞めて、
「私って、学者タイプだし〜。大学でヨガの勉強しよっと。」
って決めて、リシケシを離れる事にした。

その時に、色々なちょっと普通じゃない出会いがあって、
私は多分、無意識のうちにそのエネルギーに影響されて、
そこからあれよあれよと、

自分の求めていることと、求めていないことを認識できるような出来事が続いていった。

そして、個人的にインド哲学を教えてくれることになったアシュラムのスワミジが言った。

「こんなにシリアスな生徒を他に見たことがない。
だから、私はこの子に出来る限りのことを教えてあげようと思ったんだ。
全く、本当にシリアスな子だよ!」

スワミジに本を借りて、毎日本を読み進め、サーンキャ哲学の世界にうんうん唸っているストイック真っ只中の私の横で、
他の外国人生徒に、笑って話しているのを聞いた時、

ずっと肩にのしかかっていた
「真面目すぎる、ストイックすぎる」って否定されてきた重荷が、
すっと消えてなくなった。

人生で初めて、肩から力が抜けた気がした。

誰に肩の力を抜けって言われても、抜けなかったのに。

力を抜かなくてもいいんだって認めてもらえたら、抜けた。

その後、その外国人生徒(スウェーデン辺りのおじさん)が、
「スワミジのさっきの言葉は、すごい褒め言葉だね。
僕は、君とスワミジの関係(繋がり)を見れただけでも、とてもラッキーだったよ。
僕も君の成長を楽しみにしているよ。」
みたいな事を言ってくれた。

あぁ、やっと、スタート地点に立てるんだ。

そんな気がした。

やっと、ヨガができる気がする。

2012年春。
二回目の、インドでの6ヶ月が終わろうとしている時だった。