魂の在り方と意識・感覚

ターニングポイント

前回の続きで、いじわるな神様シリーズです。

やっとここに戻ってきた

いじわるな神様 4

初めてのインド滞在から戻ってきた私は、外見もすっかり変わってしまった。

すっと背筋が伸びて、余計な緊張が体から消えていた。
写真を見ても、全然違うし、
誰に会っても、驚かれた。

「ひと皮も、ふた皮も剥けたね。」って言われた。

ヨガの事をもっと知りたいと思った。
そして、伝えたい、と。

ただ、帰国したあと、どのヨガのイベントに顔を出しても、納得できなかった。
私が見て感じてきたことと、私が欲しかったものと、一致しなかった。

私は、日本のヨガ業界に背を向けて、

・・・そして、背を向けたまま活動していく度胸なんてなかった。

ヨガをしたい。教えたい。

という思いとうらはらに、日本ではヨガを教えたくないと思ってしまうほどの、見えないプレッシャーも強かった。

ヨガ業界に対して、好きじゃないという感情を抱く私は、ダメな人間だと思っていた。
そうやって、常に何かを嫌って否定して生きてる私って、性格悪いよね。って。

今ならわかる。
私という人間が、どんな存在で、何を好んでいて、何を求めて歩んでいるのか。

「ヨガ」という言葉や、知識は同じ部分があっても、
今の私は、そこにとらわれていないから、
【まったく別物】 だとわかっているから、両方楽しめる。

でも当時はわからなかった。
小難しいことばかり言ってて、ヨガの仕事を取りにいかない自分がとても情けなかった。

友達に、サークルみたいに教えていければいい。
みんなで、レッスンの後にお茶飲んだりして、なんとなく楽しめればいいかな。

そして、それ以外の事で働こう。

どんどん湧き出てくるヨガに対する情熱や、気づきに対して、必死にブレーキをかけていた。
当時のブログを読み返すと、
当時はまだ全然わかっていなかったハズなのに、
まだ全然知らなかったハズなのに、
まだ古代の聖典も読みあさっていなかったハズなのに、

すでに色んな事を自分で気づいて

「こういう事だと思いマーーす!!!」

って無責任に語りまくってた自分に驚く。

知らなかったはずなのに、既に知っていた。

私は結局、何も変わっていないのだ。

先日も、高校時代からずっと色んな事を語り合ってきた友達に、言われた。
「高校生の頃から、言ってることずっと変わってないね。
 自分で決めた道を、その頃はまだ何も見えなかったのに、ちゃんと真っ直ぐ進み続けて・・・すごいとおもう。」
って言ってくれた。

彼女以外の人から見たら、

あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
何も続かない。
何も出来ない。
社会の脱落者としてしか映らないだろう。

それでも、私は、やっぱり何も変わってないのだ。
ずっと同じものを目指して、歩き続けているだけ。

とにかく、お金を貯めなきゃいけないし、やりたいことはたくさんあるし!!
悩んでないで、働こう!!

と思い立って、行動に移そうとすると、ことごとくうまくいかない。
タイミングが悪かったり、ノロウィルスにやられたり(精神崩壊して脳みそやられて死ぬのかと思ったら、ノロウィルスでした。点滴が効くまでが人生で一番辛い1日だったw)、
適当に、無難に、何か社会に合わせてそれなりの言い訳のできる事をやろうとすると、

ドアが開かなくて、

急に、バタンって閉じられて、

開かないドアの前で、膝をついてシクシク泣いていると、

ふと隣にあったドアが勝手に開いて、私を手招きする。

仕方ないから、そこをくぐると、【ヨガ】 が待っている。

どこにも属さなかったのに、ヨガのレッスン(仕事)だけが、向こうからやってくる。

ほかは何もうまくいかないのに、ヨガのクラスだけがうまくいく(笑)。

そんなのばっかりだった。

教えることに関して、いつも自信があった訳じゃない。
しょっちゅう、わからなくなるのだ。

「なんで生きてるのか?
 何を目指しているのか?
 なぜヨガをするといいのか?
 そもそも、ヨガを人にすすめていいのだろうか?」と。

私は、ヨガが大好きで、もっともっと深めたかった。
いつも誰かとヨガの話をしていたかった。

でも、教えることに関しては、迷いのない他のインストラクターと呼ばれる人たちが羨ましかった。

だって、ヨガをしたら・・・、

少なくとも、私が目指しているヨガ、私が教えているヨガをしたら、
自分と向き合わざるを得なくなる。

それは、生半可なことじゃない。

レッスンを1回受けて、「あ~~気持ちよかった♪」 で終わるようなものじゃない。

見たくなかった自分を知るだろう。
隠してきた本心を知るだろう。
気づかずに過ごせていた事もあるだろうに、自分に嘘がつけなくなってしまうだろう。

そんなものを、一体なんといって、勧めたらいいのだろうか。

だから、私は、宣伝を止めた。

この3年で、どんどん、宣伝をしなくなった。
最初のうちこそ、ブログやツイッターなどでレッスンの告知をマメに行っていたし、
人が通いたくなるような文句を考えていた。

そして、他人の興味を引きそうなことを考えて【人を集める】のは、結構得意な方だと思って生きてきたのに、

・・・自分のヨガのクラスには、【集客】したくない。

そう思ってしまうから、何度も【来月は部屋を借りるのやめようかな】って思った。

なのに、いつも色んな事が起こって、(現実世界でも、スピリチュアル的にも)
クラスは常に継続されてきた。

神様は、いじわるだから、私がヨガ以外のことをしようとすると、
あらゆる手をつかって、道を阻む。
そうして泣いていると、ヨガの道だけが勝手に開いていく。

2年前はまだまだ、半分冗談で笑いながら、こう言っていた。

【ヨガ】をしているのに、あっちもこっちも阻まれて、
うまくいかないと泣いていたら、
【私がずっと求めてきたヨガ】へと続く道だけが、残っていった。

そのころにあった事は、まだ話せないけれど、
あの試練の半年が、いかに祝福に満ちていたのか、
どれほどの奇跡が続いていたのか、
いったい、何千年分の旅をしてきたのか、

色んな事が、まだ、ブログには書けないけれど・・・。

私を導いている神様は、とても厳しくて、全然優しくなんかなくて、

「そっちじゃない~!こっちだ~~!!
 こらーー!!諦めるなんて聞いてないぞーー!!戻ってこーい!!」

って、かなりうるさくて、

「ほらーー!!油売ってるヒマなんかないんだぞーー!!」

って、せっかちだから、

私はその【何か】を、2、3年前からいつも

「何かはわからないけどね、 ヨガの神様ってものがいるとしたら、
 その神様は、私がヨガ以外のことをするのを、全然許してくれないの。
 社会から脱落しても、世間の空気が読めなくても、この道だけは踏み外すな。って。

 ヨガのレッスンは、私は何もしていない。
 いつも、ヨガの神様がその場のエネルギーを動かす。 
 私は、それを通すだけ。
 何をすればいいのか、わからなかったのに、レッスンが始まると全部わかる。
 でも、私はそれをしていない。

 ・・・レッスンをしたとき、その場にいる誰よりも、私が教えられてる。」

と言っていた。

私は、今でも、誰かにレッスンをして教えている時、
同時に、【ヨガの神様】のレッスンを受けている。

知るはずもなかったこと、まだ読んだこともなかったこと・・・

奥深くから、次々と湧いてくる。

いつだって、驚きの連続で、

成長してもしても、更に上をいく概念がやってくる。

1ヶ月前に、どうやって考えていたかなんて、いつも思い出せなくなる。

そうやって、お尻にムチを打たれながら(笑)、なんとかなんとか、続けてきて、

あぁ、たまには、一息つきたいな、

って思うのに、「早く早く、急げ急げ、もっと先まで来い」って私を駆り立てる。

2、3年前は、【ヨガの神様】って呼んでたものが何なのか、まったくわかっていなかった。

でも、今は知ってる。

それを説明なんて、私にはできないけれど、

何が私を呼んでいるのか、

昔よりももっと、ちゃんと確信がある。

でも、呼び方はやっぱり、【ヨガの神様】のままで大丈夫。

誰が導いていたのか、何が導いていたのか。

誰でもなかった。なんでもなかった。

「ソレ」は、「ソレ」だった。

西洋に、インドの叡智【ヨガ】を教えに行った パラマハンサ・ヨガナンダ氏は、
あるヨギの自叙伝
 の中で、人生を振り返ってこう述べている。

「主の試練を受ける者は幸いです。
 主は、時おり私を思い出されては、私に重荷を負わされました。」

パラマハンサ・ヨガナンダ

先日それを読んだときに、いじわるな神様の愛を思い出して、それ以上文字を追えなくなった。

でもねぇ、神様?

私は、もう神様から背を向けようとも、顔を背けようともしないですよ?

多分、そっちに向かって頑張って進んでいきますよ?

だから・・・ですね。

あの・・・私、M体質じゃないと思うし・・・、

いじわるされなくても、神様のこと、好きですよ?ちゃんと見てますよ?多分。

・・・だから、もっと優しくしてくれて大丈夫ですよ (m´・ω・`)m

みなさんからも、言ってやってください。

もうちょっと、優しく導いてあげてもいいんじゃない?って。

えーっと、ごめんなさい。

まさかの恋文になってしまいました。

・・・いじわるな神様と、これからもっと愛を深めていきたいですね(笑)





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