昨日、東京の先生のところでサットサンガに参加してきました。
一日瞑想を終えて、シヴァリンガムのアビシェイクをした後、
先生がプージャを行ったんだけど、
プージャが始まるやいなや、
シルディ・サイ・ババはじめ、私を導いてくれているグル・神々に感謝の想いが溢れてきて、
周りのこともスッカリ忘れて、神の祝福に浸っていました。
初めてインドに行ってから、まだ3年ちょっとしか経ってないんです。
先生に最初に出会ったのだって、まだ2年前。
シャンカラの瞑想の伝授を受けて、まだ1年半。
たったの、これだけ。
3年前が、10年か15年くらい昔のことに思える。
私の進むスピードはどんどん早くなっていて、特にこの1年の長さったら・・・。
1年前が5年くらい前に思える。
いつも、力強くババ【ヨガの神様】達が、わたしを彼の方へと呼んでくれて、
こっちだ、こっちに来い、
って、わたしの手を引いてくれていた。
(おこがましいけれど・・・、)
わたしは、思い浮かべることのできる誰よりも速いスピードで、急激に、
坂を駆け上ってきた、
と思った。
どうして、何度も祝福を受けながら、何度も奇跡を目の当たりにしながら、
【 楽 】
にならないのか。
それは、私が、一つ階段を上がるとすぐに、休む間もなく次の階段へと急いでいたから。
わたしは、ただ、1つステージが上がるくらいで喜べなかったんだ。
ただ、最初から、【ここ】 しか目指していなかったから。
嵐の吹きすさぶ中を、なかなか望むスピードで進めずにいたような気がしていたけれど、
向かい風が強い気がしていたけれど、
単純に、私の進むスピードが速いから、
穏やかな天候の中を進んでも強い風が生じていた(物体の移動速度が上がれば、空気抵抗も生じる)だけか~。
そして、私は常にババによって、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように、走らされていただけだと思った。
きっと、これからも。
この時の涙は、どう頑張っても、説明ができない。
頑張ってマインドレベルに落として考えて説明してみたけれど、
全然、言いたいことと違う言葉になってしまう。
上に書いたようなことを、走馬灯のように思い浮かべはしたんだけど、
ただただ、ババの愛に満たされていて、「いつも常に一緒にいてくれてありがとう」って・・・
ババ(いじわるな神様たち)に「近づいて触った」なんてものじゃない、
「近づきすぎて、一体になって」いた。
一緒にいるんじゃない、一体でいた。
今までもずっと。
こんなにも近く・・・いいや、同じ存在として同じ場所に、いた。
そんなことを思いながら、ほとんどマインドも働かず、
ただ、感覚だけの世界に浸っていた。
それが、いじわるな神様の愛の中だということだけは、感じていたかもしれない。
今もまだ、からだの内側からババの愛に満たされて、体の外へと広がっていく感覚が続いています。
2014年、9月か10月にインドへ行きます。期間はわかりません。
やっと決めました。
その時に、どうしてもしたいことがある。
その為には、それまでにもっともっと、
もっと、もっと、成長しておく必要がある。
もっとカルマを乗り越えていき、
魂を輝かせて、
聖者に会う。
何をどれだけ乗り越えてきたのか、取り組んできたのか、気づいてきたのか、
そんなのひと目で全部わかっちゃうんだから、
その謁見の時に、「私の魂、ここまで来ました。」と存在で伝えられるように、頑張りたい。
【追記】
と、書いてUPしてから、シルディ・サイ・マンディールのライブダルシャンを見ようとHPを開いたら、
ババからのメッセージが
“Blessed is he who has become one with Me.”
でした。
ちょうど書いてたことですね。
こんなのが、数分ごとにやってくるので、ババとの生活、面白いです(笑)
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