
お伊勢さんとの思ひ出からポロポロ出てくる足跡
友人と伊勢を回ってきました。
インドで働いている頃の友人で、友人は先に本帰国してしまったので会うのはとても久しぶり。
急だったので土曜日の夜に現地の宿で落ち合う事に。
私の方が先に着いてチェックインする予定だったのだけど、伊勢に着いてからとにかく落ち着かなかったので、外宮参拝を軽く済ませた後は、どこでもいいから落ち着ける場所で自分とじっくり向き合いたいと思った。
おしゃれな観光客向けのカフェでは自分に集中できなかったので、そこで頼んだカフェラテはほとんど水筒に移し替えて、これまで行った事のない伊勢の住宅街をぶらぶら歩いてみた。
私、伊勢って結構行ってるし、伊勢市内めっちゃ歩いてるんだよね。
外宮から内宮まで歩くのはもちろん、二見浦から外宮も歩いた事あるし、
猿田彦神社、月読宮などの近場&有名どころだけではなくて、125社からなる伊勢神宮を全部回りたいと思って伊勢に行くたびに歩いていた時期があった
・・・事を思い出しました。
そうは行っても、結局いつもメインも訪問するから全部で10〜15社くらいしか行けていないと思うんだけど。
どこを訪問したのか、全然覚えていないんだよね。
この10年程の間の話だと思うんだけど、だんだん記憶が怪しくなってきてる(笑)
私、11年前に京都と神社仏閣にハマって、図書館で月10冊くらい神社仏閣、神道、仏教について本を借りて読みまくりながら、毎月京都に通っていた時期があったのね。
数ヶ月だけなんだけど。
その頃に、自分自身でヒーリング能力やチャネリング能力を身につけていったの。
で、植物や大地との繋がりがどんどん強くなっていって、
魂に導かれるように色んな事をやりだして、一年もしないうちに、
「あ、インド行かなきゃ」
ってなってインドに行った。
初めてインドに行った時の事を話すとだいたい、「話が飛びすぎ。急にインド出てきたね。なんで突然インドって思ったんですか?」って突っ込まれるのだけど、
本当に突然なんだよね。
ヨガのインストラクターになって既に数年経ってたけど、それまでインドでヨガをしたいなんて考えもしなかったし、会社辞めることは決めていても、「イギリスのワーホリビザ取ってハーブガーデンで働いてハーブや園芸のことを学びたい」って願ってたし。
ほんと、退職1ヶ月前に急に「あ、インド行かなきゃ。急いで行かなきゃ」って思いついて、1ヶ月後にはインドにいた。
多分、そのインドに来る前の激動の1年間に伊勢も強く関わっているんだよね。
神道について知れば知るほど伊勢神宮への熱量も増していったから、伊勢を歩いて回り始めたんだ。
ちなみに激動というのは、活動量も関わる人の数も多分その頃が人生で一番多かったと言えるほどで、
当時は私、本業は事務だったんだけど週末は園芸店で働きながら植物の事を勉強しつつ、
朝ヨガや朝活に参加し、夜は夜で週の半分以上は何かしらの勉強会的なものに参加したり自ら企画もしていた。京都、東京、大阪にもあそびに行ってたな。
朝晩の瞑想&ヒーリングも欠かさずやってて、チャクラやクンダリーニを内的体験で学んでいったのも同時期。
今考えると、一体どうやってそんな生活が出来ていたのか、謎なんですよ。
ちなみに、当時はまだ A course in Miracles という本は日本語訳が出ていなかったので、原書を買った。
英語もろくに読めもしないくせに、辞書を引きながら読んでいた。 (→今は日本語訳があるよ。ありがたいね 奇跡のコース)
2000ページもあるのでもちろん読破は出来ていないけれど、どこを切り取っても必要なメッセージが入ってくるのでその日開いたページを読んでたよ。
そんな10年、11年前の事を思い出しながら、
10年ってあっという間のようでいて、遠い遠い昔の話だなって思った。
色んなことがあった。
何度も人生の次元が変わるのを体験している。
私は、ある程度同じ生活を続けると、ある時にふと、このままこの延長線上を歩き続けても望む未来にはたどり着かない。この延長線上においての最高点よりも高い理想を私は追い求めている、と感じてしまう時期が来る。
例えば、ヨガを教えていた6年前のちょうど12月。
私はようやくヨガだけで生計が成り立つようになっていて、生徒さんもじわじわと増え、ブログも伸び出し全然繋がりのない日本のどこかから「私のヨガを受けたい」と依頼が来るようになって手応えを感じていた時期だった。
そのまま行けば、「ヨガの教師」としてもっとたくさんの人と出会い、今も幸せだけど、もっともっと楽しく心が弾む時間が増えるんだろうなって期待すらあった。
でも、このまま同じ様にヨガを教え続けたら、もちろん私もその中で成長していくし教えられる内容も私の成長に合わせて深くなっていくし、
ブレイクスルーして生徒さんが桁違いに増える可能性だってあるかもしれない。
影響力も高まれば、本だって出せるくらいに人が集まる可能性だってある。
でも、それは面白くないと思ったんだ。
その延長線上で考えられる最高の未来が、私が本当に欲しいものだろうか?
私は、悟りや魂を生きる事、スピリチュアルな生き方について興味を持つ人達だけではなく、
そういう事に今生では全く興味を持てない人達にも無意識に影響を与えられる様な社会の仕組みを作りたいと思った。
悩みや迷いがある人達が、救いを求めて自身の為にヨガを行うだけでなく、
本当の意味で「生きる」事について学んで欲しい。
ヨガという言葉や、教え、知識にとらわれるのではなく、
そんな事を知る必要もない、けれど「自分自身を生きる」大切さを伝えたいし、それを教えたい。
それを教える為には、「ヨガクラス」という枠組みすら、私には足かせになる気がした。
限定してしまうから。
自分自身に自信が持てない時や、
自分自身の人生を生きる事から逃げ出したい気持ちになると、
その気持ちを素直に認めそんな自分を受け入れるのではなく、
「ヨガを学んでインストラクターの資格を取りたい」
と、意識が別の方向へ逃げてしまう生徒さんをたくさん見てきた。
その人の魂の目的がきちんとあるのに、
それとは違う方向にある、目に見える資格に逃げてしまう。
「資格」を取ったら、自分にラベル付けができるから。
「ヨガを知っている」と言えるから。
でもね、「ヨガを知っている」のと、「ヨガをしている」のは似ても似つかない別物なんだよ。
全く違う。
多くの人はヨガを知ろうとする。
ヨガを知れば知っただけ、ヨガを出来ていると思い込んでいる。
でもね、そのせいであなたはどんどん、自分自身を生きる事から遠ざかっているのかもしれないよ。
そして、それはヨガをしている事にはならない。
その事を伝える為に、私がヨガ教室を運営していく必要はないと思った。
もっと本質的な意味で、ヨガとは何かを、出会う人達に伝えていく方法。
ヨガ教室は年を取ってからでもできる。
今経験できる事、今体験できる事を大切に。
今の私の最大限の可能性を、いち早く掴むことよりも、
5年後の自分が未来に見い出す事のできる可能性が更に大きなものになるのであれば、
失うものなど何もない。
今できる事、今持っていて他者に提供できる価値を捨ててでも、
新しい事を通して学ぶ経験値の方が私の10年後、20年後の可能性を更に大きくしてくれる気がした。
むしろ、そうじゃなきゃ、私がこの世界で実現したいと願っている大きな夢を叶えられる自分になれない気がした。
今のステージでの延長線上ではなく、別のステージに移らなきゃ見えない景色が欲しかった。
伊勢に着いてから異様にもやもやして、急に人生が行き詰まった様に感じていたけれど、
歩きながら過去を思い出していたら、ちゃんと今と未来が見えてきた。
私は自分の道をちゃんと歩いている。
そして今、また大きく「線」を変えようとしている。
今までの線上の先を見据えるのではなく、本当に目指す未来を見据えて、新しいラインに乗り移る時。
これまでもそうだった。
人生が大きく変わる時、その前にいつも前が見えなくなる。
でも今まで知ってた未来じゃなくて、全く見えない景色の中に飛び込んだ先では、全く新しい世界観が広がっていくのを私は知っている。
変わる度に人間関係も変わるから、その事に後ろ髪を引かれるけれど、
私は私の成長を望まない人たちのそばにいたくはない。
足の引っ張り合いは大嫌い。
先をみて、励まし、共に成長していける人達と一緒にいたい。
あぁ、この寂しさと躊躇する気持ちは、成長する事による別れがまたあるからだな。
でも、成長する事で新しい出会いと繋がりもまたあるから、恐れずに先へ進もう。
住宅地を1時間以上歩きながら、思考と感情がグルグルしてひと段落ついたところで、宿についた。
ほぼ一日中連絡を取っていなかった友人と、ちょうど旅館の前で出くわして、一緒にチェックインした。
示し合わせたかの様なタイミング!
すごいな。笑
外宮から徒歩8分くらいの所にある宿。
夜眠れなくて瞑想しているうちに、外宮の神様である豊受大御神とのやり取りが始まったので、次はそれを書いてみます。
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