魂の在り方と意識・感覚

エンパス親子の初詣で日記

年が明けて、初詣でに行った方も多いと思います。

私も元日だけ休みがあったので、
父と、商売繁盛で有名な神社へ行きました。

個人的には、産土神社にまず参拝したいところでしたが、
そこも大変混雑しているので、「また改めて伺いますね、ごめんなさい」と思いながら通り過ぎました。

私は、まずは日頃お世話になっている土地の神様にご挨拶をするべきだろうと思っています。

でも、
父は父で、昔から毎年参拝して商売の事をお願いしているのだから、一番最初に商売繁盛の神社へ挨拶に伺うのが礼儀だろう、と思っているようなので、
その思いを尊重して、「いつも父がお世話になっています。」という感じで何も言わずについて行きました。

(のんびりして疲れを取りたかったんですけど)
娘と出かけるだけでも、少しは親孝行になるだろうと思って。
(ただ付いていっただけだけど。笑)

うちの父、ボッケボケなんですよ。
天然ボケなのか、そろそろ年齢的に心配なのか・・・どっちだろう、という感じで。
元々、天然ボケでのんびりしてたのに、プラスで頑固だったり融通がきかなくなってきた感じです。

突っ込みどころ&イラつきどころが満載なのですが、突っ込まないように過ごしてみました。
参道沿いのお店で何かを買う時、今までだったら、私や母の方がシャキシャキしてるので、「もぅー!これはこう!!あれはこっち!」って父のする事なす事に突っ込みをいれてたんですけど、
なんとなく、父のペースに任せてボケーッとついていきました。

母から買ってきて、と言われたものや参拝後に寄ろうか〜みたいなお店を確認しながら鳥居に向かっていきました。

意外と混雑していなくて、表参道を歩きながら、
「あれ〜?混んでるけど、それほどじゃないね。」
と言いながら歩いていたら、
それでもまだ鳥居から遠く離れた場所に参拝の列の最後尾がありました。

そこに並ぶと、続々と後ろにも列が伸びていきます。
商店街の真ん中に列が出来てて、
参道の両端は、参拝が終わって出てきた人や、商店街をぶらぶらしたい人、反対側の参道の方へ抜けたい人たちが通れるようになっていました。

そして、列はなかなか進みません。
ほとんどの人がイライラしたり、家族で喧嘩したり、
誰それの悪口を言って時間を過ごしていました。
人混みで、です。

もう、エネルギーが濁らないように、乱されないように、強くガードするのに精一杯で、
こんな低い波動に身をさらしながら、エゴを神様にぶつけにいく必要ってあるのかな〜と思っていました。

とかいう私も数年前までは、ここで家族にわがままを言い、文句を言い不満たらたらで参拝してたんですけど(笑)

そんな事も思い出しながら、
過去の過ちも含めて、父に今出来る恩返しは、
「今、イライラせず心を保ちながら、
父が心穏やかに参拝し終えるようにすることだな。」
と思ったので、黙って並んでいました。

半数以上の人が、列が進まないとイライラしながら、脇へそれて先へと進み、もっと前の方へ横はいりをしているようでした。
それがあまりに多いので、列は余計に進みません。

父も、
「いかんなぁ〜。(ダメだな)
こんなにもどんどん横入り出来るようじゃ、進むはずないわ。
横入りできないようにしておかないとダメだわな〜」
と言います。

子供の頃の私だったら、待ちきれなかったり、並んで待ってる方が損とばかりに横へそれたかもしれないし、
借りにもっと前の方でうまく列に入れた時は、「ラッキー」だと思ったかもしれません。

でも、そんなの全然ラッキーじゃないよね。
今はそれがよく分かるわー。
並んでてもちゃんと参拝できたなら、全然損してないし。

と一人考えていました。

父は、そわそわしているようだけど、イライラはしてなくて。
でも、おそらく一緒にいる人が「もうちょっと前まで見に行ってみようよ」って誘ったら、ルンルンと列を抜けてしまいそうだな〜
でも一緒にいる人が言い出さなければ、そわそわしながらも待ち続けるだろうな〜
と思って、何も言わないことにしました。

こんなね、神様の前までわざわざ来て、
そこでズルしたり、怒ったり、悪いカルマを積んでどうすの。
ということを思ってたけど、
なんとなく、父にそれを言う気にもなれずにいたら、

前のカップルも後ろの女の子たちも、
真面目に並んでる組は同じように、
「こんなところで横入りしたら、罰当たるから。仕方ないけど、待ってるしかないよー。」
って話しています。

父にも、おそらく聞こえていたと思います。
最初こそそわそわしていましたが、父のエネルギーも静かになっていきました。

波動の低い(荒い)人たちは、列を抜けて前にいくので、次第に周りは同じように、
「せっかく神様のところに来たんだから、ちゃんと並ぼう〜。」
と考えて待ってる人が集まるようになっていました。

父は、きっと影響されやすい人なんだろう。
周りにイライラ低いエネルギーが流れていると、それに引きずられるけど、
周りが穏やかだと穏やかでいられる人。

そんなふうに思いました。

で、鳥居近くになったら、横入りした人たちがまた増えてきました。

全っ然、エネルギー違うの!!

さっきまで周りにいた穏やかな人たちと、殺気立った人たち。

あぁ、こうやって、エゴをむき出して他人を蹴落として欲を満たそうとする人たちは、
自ら次々とこういうカルマを積んでいって、自分でそのカルマの報いをいつか受け取らないといけないんだなぁ。
とつくづく思いました。

そして、これだけ荒れたエネルギーの中で、エゴいっぱいの願をかけられた神社は、決して気持ちのいい状態ではありませんでした。

神社の御神気は、その多くの【願】に埋れて感じられない気もしたし、

そもそも、どんな【気】が宿る神様なのか、

というか・・・神様かしら???

と思いました。

なんとなく、違うと思います。

それでも、力のある存在なのでしょう。
いい悪いではなくて。

自分自身をしっかり保ちながら、
感謝とご挨拶をして去りました。

家に帰ってから父は、
「⚪︎⚪︎は真面目で曲がったことができないからさー、なかなか進まなくても横入りしようとか考えないんだよな〜。
だから時間かかったよ。」
と母とおばあちゃんに説明してました。

やっぱり、父は「抜かしちゃおうか」という誘いをどこかで期待していたのだろうと思いました。
自分から積極的にズルをしたいわけでもないけど、
ラクしたいな〜
みたいな気持ちが少し。

父みたいな人は、誰と一緒にいるかで、運も全く変わってくるんだろうと思います。

参拝後に同じ道を歩きながら、色々と買いました。
「おばあちゃんはそんなに食べないから数要らないよー。」
とかは言っても、
急に「じゃあ、コレ」ってお店の人に呼びかけて、何かを(私にとっては無駄に)大量に買っちゃったり・・・

急に、フラッと行動しちゃうんです。父。

さっきまでの話し合いは何だったのか、聞いてたのか、覚えてるのか、ちゃんと考えて動いているのか・・・( ̄◇ ̄;)
今までなら、ここぞとばかりに父をけなして(?)「聞いてたのー!?何考えてるのー!?」って突っ込んでたような事を、
黙って見過ごす事にしました。

別にね、大した問題なんてその日のどこにもなかったんですよ。

例えば、父が「アツアツの串カツ食べたいな〜2、3本食べながらお茶飲んで休憩してから帰ろうか〜」
と言ってたのに、急にお持ち帰り用にパックしてあった10本入りが目に入ったらしく、買おうとしたから、
「食べてかなくていいの?多くない?私は食べないよ?」
と聞いたんだけど、これでいいというので、それ以上何も言わずにいたら、買ってから、
「しまったな〜。冷たいし、休憩し損ねた。」
というので、

やっぱり休憩&揚げたて食べたかったんかい( ̄◇ ̄;)‼︎

と思ったけど、
「まぁ、休憩したかったら、他でも出来るし、戻って揚げたてを食べることもできるし、やっぱりぜんざいのとこまで戻ってもいいんだし。」
というと、
「まぁいいやー。帰ってから食べよう。」と。

なんとなく、母やおばあちゃんと一緒に食べたい気持ちもあったんじゃないかな〜と帰ってから思いました。
2人には、屋台の串カツなんてまずいから要らないと言われて、父自身も、食べながら「参道で食べるから美味しいんだな」と呟いてたけど(笑)

母に「一体、参拝しに行ったのか、買い物に行ったのか。」って呆れられて、
まるでちびまる子ちゃんとまるちゃんのお父さんみたいな気分になったけど(笑)

別に、自分で買いたいと思ったものが買えて、
食べようと思ったものが食べれた(不味くても!)んだから、いいんじゃないかな〜と思いました(^_^)

人を自分の思い通りにしようとしない、
ということと、

例え相手が親であっても、親に失敗させてあげる、その余裕を持てることから見えてきたこと、

まだうまく言葉にできないけれど、すごく学びの大きな日でした。

また、神社でも、やはり、エネルギーがそれぞれ違います。

波動の重くて荒い神社は意外と多いなと思いました。
軽くて精妙な御神気はレアだと思います。

商売繁盛などのエネルギーを動かせるのは、
やはりある程度の波動の重さがないといけないんだろうな。

波動のめちゃめちゃ高い純粋さそのものの御神気は、
そういう純粋なエネルギーを与えてくれるから、
その恩恵が、実生活にどういう形で現れるのか、理解できるだけの認識力も持っていなければ、わかりづらいかもしれません。

パワフルさと、波動の高低は別であることと、
波動の高い低いがあるからこそ、世界が成り立ち動いていることも感じました。

後日改めて地元の神様にお参りに行きましたが、
まだまだ人が多くざわついていました。

普段から挨拶に来ていれば、
混雑してエゴの飛び交う時期にあえて神様に負担をかけにいく必要もない気がしました。

「また来ます。」

と言って、すぐに帰りました。

個人的に、色々な気付きのできた初詣でした。

神社・仏閣だからと言って、エネルギーが綺麗なわけではないし、
良い波動に満たされている訳でもナイです。

ただ、たとえ良い波動の神社であっても、
正月三ヶ日の参拝は、参拝者のエゴのお祭りになりがちなので、
どうなのかな〜と思っています。



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