見極めること、
ありのままに見ること。
難しさに捉われていれば、それはとても困難な事に思えるでしょう。
理解するには、理解できるだけの器を用意しなければいけません。
というと、ある盲目の人は言います。
「他の人には、伝えられません。
伝えても彼らには、あなたの教えが理解できないでしょうから。」
盲目とは、無知であること。
自らの眼鏡がいかに曇っていて、
世界が見えていないかを知らないのです。
後から来た純粋な魂は、とっくの昔にあなたが今いるところを通過しています。
そんな事実にも気づかず、
自らの幻想の中で、
「私は教えを受け取ることの出来る器があるけれど、
他の人たちにはない」
とエゴを満足させていきます。
1.他人を馬鹿にして、
2.見つけた宝物をその人たちから見えないように秘密にして、
3.自分は素晴らしいとエゴを満たす
この行為がいかにあなた自身を曇らせていくことか。
真摯に受け止めなさい。
彼にその器があるかどうか、
判断するのはあなたではありません。
あなたが与えられるものの全てを彼に与えなさい。
もし、あなたがどんなに素晴らしいと思う教えなり機会なりを薦めても、
相手にそれが響かないのなら、
それはグルの言葉のせいではなく、
先生の教えのせいでもなく、
相手の器の問題でもなく、
あなた自身にそれを語るだけの知恵と理解力と影響力がないからです。
いつまでも、周りを馬鹿だと見下しているうちに、
素直な亀は歩みを止めず
自分の足ののろさを知っている亀はひたすら歩を進め、
そして気づいた時には、貴方だけが取り残されるでしょう。
問題は、全て自分自身の中にあります。
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