記事が前後しますが、先日の
「向き合うということ」
の続きです。
この土日の体験は深すぎてありがた過ぎてうまく書けないので、ゆっくりと時期を待ってみます。
以前、オーラを読んでもらった時に、
「ハイヤーセルフが、もう疲れたと言っています。
他人の問題を持ち込みすぎて、全然美しく咲けない。
美しい蓮の花を開いても開いても、すぐに誰かに(そのエネルギーを)持っていかれる。」
と。
それを聞いて少しショックでした。
何がショックって、憑依されていることより(←そんな事は誰にだってあって当然)、
私の「ハイヤーセルフ」というものの叫びがショックだった。
私の「ハイヤーセルフ」ってそんなもの!?
そんなに心が狭くて余裕ないの!?
・・・いや、違う。
自己の本質は、そんな見方をしない。
という違和感。
独りになって、少し落ち着かせながら考え(感じ)てみたら、
「ハイヤーセルフは、自我よりもHigher かもしれないけれど、瞑想の静寂の中で感じる意識はそれよりも、Higher だ。」
と思った。
ハイヤーセルフって言っても、確かに自我よりはずっと高いのだけど、「少し低いところ」も多いし、
チャネリングメッセージもだいぶ高次からのメッセージだけれど「少し低いところ」が多いと感じていた事ともリンクして、
意識ってどこまでも階層があるなぁと思った。
そして、数日間聞いた話を意識しながら瞑想していたら、
「どんどこい!」
って気持ちになった。
確かに、精神的に私に依存してくる人は多いと思います。
特に、「敵対心」「拒絶感」という感情を持ちながら、「私なら助けてくれるんじゃないか」と無意識に憑依する事も多いみたいです。
それを昔から薄々感じていたから、
(表向きは少しの軽蔑など負の感情を当てつけながら魂レベルで依存してくる=エネルギーを吸い取る人たちの事を)
理不尽だと感じて受け入れられなくて、
めちゃめちゃ怒っていた。
頑張って結果がある程度出てくると、それが表在化されて、怒り狂っていた。
だから、「頑張って咲いても咲いてもすぐに萎れてしまう」という言葉は、
以前の私の叫び声に思えた。
そう、だからみんなの事を許せないんだ!
と叫んでる心が、確かに今もある。
それでも、瞑想をしているとだんだんと
「より高い視点から」眺めている自分もいる事に気付く。
誰も気づかない事だけれど、
見えないところで私に憑依してエネルギーを吸いとっている意識に、愛を送っていつかすべて、私のこともあなたの事も解放してみせましょう。
と思った。
他人のエネルギーを動かすのではなくて、あくまで私の中を浄化するだけ。
私に縛りついている意識の断片に、本来の場所へと帰ってもらうだけ。
一時的にエゴは辛いと判断するかもしれないけれど、ここにある呪縛を解いてあげることは
私が自由になるだけではなく、私のところへ憑依している意識の事も私から自由にしてあげること。
そして、よく「繋がろう」と意識を預けてしまう人がいるけれど、
そういう人がキャッチする「意識」というものも理解できてきた感じ。
うまく説明できないけれど、意識の階層が日々の中でよく理解できるようになった。
だからこそ、グラウンディング、丹田の強化をこれからも大切にして行きます。
Hari Om
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