魂の在り方と意識・感覚

何ヨガですか?

ヨガの種類

今日、初めてお会いした方にヨガの事をきかれて、なんとなく話していた。

私は自分のヨガについて聞かれるのが苦手で、自分では他人から見て私のクラスがどう他と違うのか、よくわからないから。

やってること(アサナや呼吸法)が大きく違うわけでもない。

でも、何かもっと根本的な事が違う、と思ってる。それが上手く説明できない。

まず、「何ヨガですか?」と聞かれたら、私はインドでもいつも
「 I just follow “yoga”.」
と答えていた。

多分、何ヨガですか?って聞かれる時の「何?」は、私にとってはどれも同じ「ハタヨガ」の中の分類でしかないから。
(ex. アイアンガーヨガ、アシュタンガヨガ、ハタヨガ、隠ヨガ、クンダリーニヨガ、オーロビンドの哲学から離れてしまった現代ファッションとしてのインテグラルヨーガなど)

二年前からずっと、「他でもない、ただ “ヨガ”をしています」と答えていた。

でも、インドのリシケシにいてさえその答えに「はぁ???」って反応がくる。
日本や各国でインストラクターやってる人たちにさえ、「え?何言ってるの?意味がわからない」と言われた。
(でもだいたいインド人は、その答えにとても喜んで、ヨガとは何かとか話し出してくれる。多分インド人たちも、外国人のいうヨガと文化に染み込んでるヨガは別物だと認識してて、それがわかる人がいたら自分たちに染み込んでる価値観を共有したくなる・・・んじゃないかな?)

2020年追記 → 今では、一般のインド人はもちろんのこと、20,30代のインド人ヨガティーチャー達でさえヨガとは何か?がわかっていません。逆輸入された現代風ヨガが広まってしまっているので。いくら伝統的とうたっていてもね。


でも、ある日のクラスで。
リシケシで「ハタヨガならこの人が1番」人気な先生が、
「先生のクラスは何スタイルですか?」と聞かれていた。
私はここへ来て「何スタイル」ってレベルの質問が出ることにも少し驚きつつ、先生の言葉を待った。
「 I do yoga. I teach yoga. It’s nothing else.」
みたいな?事を言った。

嬉しくて、大きく頷いた。

先生のことを、巷では「ハタヨガ」の先生というけれど、先生自身はそれを言っていない。
クラスではアサナを教えるけど、それだけを教えてはいない。
アサナにしか興味がない人には見えない。
アサナのクラスに先生が送っている愛情とか、言葉に含まれる哲学とか、もちろんお話の時間もあるけど、それだけじゃなくて。
先生が先生であること、そこにいて同じ時間を共有すること、その中に常に教えが伝わってくる。

先生が、「先生ではない」時間がない。

先生は、あえて商業ヨガの中に身をおきながら外国人観光客(私たち)に教えているのが凄いと思う。

(ちなみに最初のインド滞在の時に一回だけ彼のクラスを受けた。
レッスン前に呼吸をして首を回しただけなのに、既に先生は私が超軟体であることを見抜いて前屈で周りの様子見ながらやろうとしたら、
「君は、ここまでだ」と、普通ならありえないくらい遠いところに目標を置かれて、戸惑いつつやったら届いた。ほら、やっぱり、という顔をされたように思った。)

わたしは、その先生は器具を使わないけれど、絶対にアイアンガーヨガも勉強してるし、アサナの特徴がアイアンガースタイルだと思う。ポーズによって違うけど。
犬のポーズとかはアイアンガースタイルでやってる。
私もアサナはアイアンガースタイルで自分の練習はやってる。

話を戻そう。

例えば・・・

前回、一時期ヨガのS大学に滞在した。
数年間のコースで入学しようかどうか本気で迷っていたから。
アシュラムが母体で毎日の祈りが一番の核。

その時、南インドの有名なヨガのK大学に通ってる友達Aから連絡が入った。
「大学を考えているなら、僕の行っているK大学をオススメするよ。」と良さを教えてくれた。
そこは本当に技術も学力も研究も医療としてもヨガにおいて秀でている。
いいところなのは、すごくよくわかる。

むしろわからないのは、何故わたしはそこを選ぼうとしないのか?だ。

で、メールをやり取りするうちに、気付いた。

友達Aに「S大学で宗教としてのヨガを学んでも、日本では人は集まらないよ?」

と言われたのが決め手だった。

え、でもヨガを理解するのにヒンドゥー教そしてインドの歴史は必須だと思うし、どの病気にどれが効くとかよりも、わたしは伝統的な「叡智」を得る手段を学びたい・・・かも。

あぁ、そっか。
私の中には、アカデミックに統計に基づき学びたいという気持ちもあるけれど、
それよりも「実践したい」んだ。

勉強したいんじゃなくて、魂を磨きたいんだ。

I don’t want to study yoga.
I just want to do yoga, live with yoga.

だから結局、大学という学術機関へ行くのは辞めた。

それは、友達が勉強していてくれるから、必要な時に教えてもらえばいい、私の生徒さんにも彼に知識を教えてもらえたらいいじゃないか!
おおっ!そうじゃん?
みんな少しずつ違うことを学んでいるから力を合わせられるんじゃん?

それに、それが「ビジネスとして成り立たないよ」と言われるのなら、
あるいは、ビジネスとして成り立たないのなら、
それで生活の糧を得る必要はないと思った。

一番大切なライフワークであっても、ライスワークでなくてもいいのだ。

一番大事なのは、私が成長するかどうかだから。


と思って、アシュラムへ戻った。

川辺の掘っ建て小屋住むヨギに会いに行き、そのことを話した。
(あそこ雨季に沈まないんだろうか?)

数ヶ月間、私がこの町で「ヨガができない!」事に右往左往していたのを少し離れて見ていた人。
「君はヨガの勉強をしている。なんでヨガをしないの?」と聞かれてもわからなかった事が、わかった気がしたから、話に行った。

彼のグル(いつ現れるかわからない)にも、また会うことが出来た。
そのグルの呼吸とエネルギーは、今でも私の中に残っている。

私が学んできたヨガは、「どこでどのコースを終了したか」がほとんど関係ない。

ハタヨガのコースも受けたし、
アイアンガーの上級コースも受けたし、
アシュラムの哲学コースも受けたし、
サンスクリットのコースも受けた。

でもそれはプロフィールに載せていない。

それはあくまで「読み書きそろばん」と思っているから。

それ以上の深い学びを色んな人に教えてもらってきた。

その先生たちの「叡智」を伝えたい。

もしそれを必要としている人がいるのならば。



でもまず、第一は自分。

自分が実践していく。

もしちゃんと実践できていたら、後は勝手に伝わる。

伝わらないなら精進するだけ。

ただ、ヨガを学んでいます。






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