先日インディーと話した事を書きたいと思っていたら、ちょうど読んでいた本に適切な表現が出てきたので引用させていただく。
以下は、スイス交霊会でのシルバーバーチの挨拶部分の抜粋です。
(前略)
シルバーバーチ最後の啓示 ー スピリチュアルな言葉が教える”生きる”ことの喜び
私たちは同じ生命の道を歩みつつ、昨日よりは今日、今日よりは明日と、生命について少しでも深く理解させてくれる啓発を求めている同士だからです。
皆さんは、物質的な視点から言えば、とても美しい国にお住まいです。が、霊的な観点から言えば、残念ながら美しいとは申せません。無知と迷信と誤解があまりに多すぎます。
霊的実在について幾らかでも知識のある人は、ほんの一握りにすぎません。
そこで、例の崇高なる照明がその輝きをより多くの人々にもたらす為には、二つの邪魔ものを排除しなくてはなりません。
1つは伝統的宗教です。宗教的なありがたい教えを継承しているつもりでしょうけど、肝心な宗教としての昨日を果たしておりません。本当の宗教とは大霊との絆を結んでくれるものでなければなりません。かつては基盤となっていたインスピレーションはとっくの昔に教会から追い出され、代って教義と信条とドグマと儀式のみが残っております。
こうしたものは宗教とはなんの関わりもないものばかりです。大霊に近づけるという宗教の本来の目的には何の役にも立たないからです。インスピレーションは無限の存在である大霊から発しております。それに引きかえ神学は人間の知能から発したものです。都合のいい理屈から生まれた教義が、宇宙の大源から発したものの代わりができるはずがありません。
もう一つの邪魔ものは、崇拝の対象です。かつて”黄金の子牛”と呼ばれていた物的な財産が崇拝の対象とされています。人生の基盤が霊的実在である事を宗教が解き明かす事ができなくなった為に、圧倒的大多数の人間が、物質こそ存在のすべてであり、五感で感じ取れるもの以外には何も存在しないのだと信じるようになっています。
そこで彼らは、人生は70か80か90年、どう長生きしてもせいぜい100年だ。存分に快楽を味わうために金を儲け、財産を貯えようではないかと言います。イザヤ書にある ”食べて飲んで陽気にやろうではないか、どうせ明日は死ぬ身よ” という一節がそれをうまく表しております。
責任は教会やシナゴークや寺院にあります。基本的な霊的原理の大切さすら説く事ができないからです。生命は物質ではありません。霊的なものです。物質はただの殻にすぎません。実在の影です。実在は霊であり、いま自分として意識しているあなたは霊なのです。
人生の究極の目的は、その、あなたという霊の属性を発揮することです。逃れることのできない肉体の死とともに始まる次の段階の生活にそなえるためです。
ヨガにおいても、世界のあらゆる宗教においても、私たちはいかに「知識」を求めている事か。
それがどれほど「伝統的な”知識”であるか」にしばしばとらわれてしまっている事がある。
ヨガにおいて言えば、大切な事は内なる至高の存在と繋がる事* であり、asanaや哲学などの知識はあくまでも、その人と内なる至高の存在との繋がりを『思い出す』為のサポートにすぎない。
(* シルバーバーチは大霊と繋がることと言っている)
知識はいくら集めても内なる存在と繋がらない限りそれはただの「情報」でしかない。
asanaはどれほど美しい形を究めようと、そこに「意識の進化」が伴わなければただのスポーツでしかない。
翻せば、意識が内なる存在と繋がっており、目覚めている時、どんな事をしていてもその人はヨガを行じている事になる。
どの宗派に属しているか。
どの宗教に属しているか。
誰から何を何年習っているか。
どれだけのアサナを覚えたか。
どれだけの知識を持っているか。
なんの学位を持っているか。いくつ資格を取得したか。
そのどれもに意味はない。
ただ、それは学ぶ事に意味がないという事とも異なる。
今、内側に意識を向ける事で、ありのままの現在を受け入れる事で、これまでの体験が意味を持って繋がりがみえてくる。
シルバーバーチは大霊は「至高の神」「この世の絶対的な真理」とは異なるが、肉体を持った人間が「神」と直接繋がる事はほとんど不可能に近いため、「神」よりは人間に近い「大霊」に繋がることの重要性を説いている。
これは、ヨガにおいて「グル」と呼ばれるアセンデッドマスター達とエネルギー的に繋がることの重要性とほぼ同じ意味だと考えられると思う。
グルは、真実を体現する存在であり、我々を唯一の真実である神と繋げるチャンネルになる存在である。
真のグルは、肉体を持っていてもいなくても同じように働いてくださる。
↓ (参照)
ただ、グルを外側に求める必要は全くない。
グルは、我々一人一人に宿る個の本質へと目覚めさせてくれる存在だからだ。
グルは内側に存在し、そしてそれは「本当のあなた」自身だから。
内側と深く繋がり、一歩一歩 「私」 に近づいていくその過程が霊性の道であり、周囲をも照らし導く灯火となり、やがて人はそういう人の事をグルを呼び、またその人たちもいつかグルと呼ばれる存在へと成長していく。
究極の問いは、Who am I ? に尽きる。
どれほど知識を保持していようと、その問いと向き合う事以上の霊的な輝きは与えてくれない。
外に答えを求める事をやめて、内に潜る。
そのシンプルな解決法を受け入れる事ができないマインドこそが、私たち人間の大きな課題なのかもしれない。
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