魂の在り方と意識・感覚

誰もが一つの天才性を持っている

タイトルはつけない。

今日もただ、徒然なるままに。

小学6年生の時、徒然草を読んで衝撃を受けた。
法師という立場もだけど、何よりも、1日中硯に向かって徒然なるままに心に移りゆく由無し事をそこはかとなく書きまくった文章が時代を超えて読み継がれているなんて!!と激しく嫉妬した。

いまだに、今生で最も嫉妬し、自分もそうなりたいと羨ましく思った存在だと思う。

その頃から、いや、それ以前から、心の内を言葉にして綴る、という事に価値を見出していた。
私にとって日記は、その日に何をしたか、を書くものではなく、その日にあった出来事などを通して、何を感じ、何を考えたか、を記すものだった。

古臭いお堅い高校に通っていて、周囲は真面目な優等生ばかりの中、一人授業も聞かずにひらすら書きつくった。
心の中で叫びながら書いていた。
この声が誰かに届きますように、と。

はたから見たら、だだの狂人、変人だったと思う。

国語の授業で山月記が題材だった時は、主人公(?)の発狂した時の意識をもっと詳しく知りたくて仕方なかった。

狂人、キチガイ、そういう言葉に子供の頃から惹かれた。

バカと天才は紙一重。
狂気に満ちた追求の先に、誰にも成し得ない天才性が花ひらく。

と、10歳になる事には良く自身に言い聞かせていた。

神童のような評価を得る一方で、先生達の手に負えない問題児でもあった。
飼いならされた優等生になるつもりはなかった。
いかに、学校というものが私達のマインドをコントロールし広い土地で放牧させながら決して敷地からはみ出さないように管理する場所か、と感じていた。
カラフルな個性という可能性を潰し、全ての児童に「平均的な」人間になるように洗脳する場所。
落ちこぼれる事もダメというだけでなく、「秀でる事」すら「ほどほどに」しないといけないと言われ続けた。

私が今でも言われる度にカチンと来る言葉が、
「出る杭は打たれる」と「能ある鷹は爪を隠す」だ。
そりゃもうトラウマの様に奥から感情が揺さぶられて、思わず「あなたには、出す杭もなければ出せる爪もないですものね。」と言ってやりたくなる。

そんな私をなんとか押さえつけようとする先生達に憤りながら生きていた私に、5年生の時の担任が色々な言葉をくれた。

先頭を歩くリーダーには、他の人には見えない景色が見える。
皆にはそれが見えないから、リーダーの言葉を理解しない。理解できない。
でも、リーダーは、自分を信じて自らが機関車となって動かなければならない。
(機関車には機動力(エンジン)があり、他の車両には付いていない。動くことができるのは機関車だけ。他の車両は機関車に引っ張られてついていく。)
まだ誰も照らすことのできない道を他の人たちの為に照らしながら先へと進んでください。

それらの言葉は、今でも私に、私らしさを取り戻す力をくれる。

もし、私が果敢に先へ進もうと思っていなければ、忘れてしまう言葉だろう。
でもこの言葉は私の奥深くに響いていて、
先が見えない時、道に迷った時、私を私の道に戻してくれる。

パイオニア、光の戦士、インディゴチルドレン

リーダーは孤独であるべきだ。と、今年のはじめに言われた。
リーダー、他を導く者のこと。

真実を求め、真実を生きようとする人は圧倒的に少ない。
ほとんどの人が理解しないだろう。

共感できる人はどんどん少なくなっていく。
成長すればするほど、ピラミッドの頂点に近づく様に、同じレベルで共感できる人が少なくなっていく。

でも、今のジレンマを抜ける為には、先へ進むしかない。
君は、真実を求め真実を手にし、それを伝えることができる。
君自身がそれを求め、それを目指している。
ならば、どれだけの人が君を「平均的な」心地よいものに誘おうと、自分を信じて進むべきだ。

と。
そして、第3の目を活性化させるコツを教えてもらった。

ちょっと過去記事が見つからなかったけれど、昔、仏教の聖地ルンビニでもチベット僧に言われたな。

ほとんどの人は真実ではなく、真実の「様なもの」を求める。
真実を見ようとする者は本当に少ない。
多くの教師が間違った事を君に教えるだろう。
しかし、君は自分自身を信じて真実を見ようとしなさい。

今、私に必要なのは、私自身が求めている事に素直に手を伸ばす事。

その価値も、そこに手を伸ばしながら模索する時間の価値も、他人には理解されなくても別にいい。
ただ、私が私の感覚を信じて、私の為に、私が歩みたい道を選ぶ。
それだけの事。

誰からの承認もいらない。

私は私の道をいく。