魂の在り方と意識・感覚

キラキラという呪縛

何年ぶりだろう・・・というくらいに肩が凝りました。

あー、肩が硬いーー!と思っていると、
気持ち悪いんですよね。

肩に力が入っていること自体が。
喉や肩、首のあたりがゆるんでひろがっていなくて、いろんなものの流れが詰まってしまう。

あーーー、肩に力がはいると、こんなにも気持ち悪いんだっけ?
痛いー
苦しいーー
腕に力が入らないーーー

息も浅くなるーーー

あれーー?
昔って、もっと肩に力はいってたけど・・・

もしかして、こんな苦しい状態が、当たり前だったのかな。

頭にも力が入る・・・。
こんなにも力んでたら、何にも見えないね・・・。

この程度の凝りでこの辛さなら、お母さんの身体ってガッチガチで相当辛いだろうに・・・。
明日は実家に帰って、マッサージしてあげよう。

うん、そうしよう。

あーー、それにしても、すごく疲れてるのに、何もせず横になるのが苦痛だ・・・。

というわけで、クローゼットの中身を引き出しの中まで全部だして、整理整頓してました(笑)
知らない間に、モノって増えてく・・・。

処分処分。

毎年、服を捨てる一方だから、

インド服の分量のほうが多い( ̄▽ ̄;) なんか嫌。

このまま台所も掃除したいけど、首も楽になったので、アサナと瞑想して寝ます。

と、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。


【キラキラ素敵な人生】を、送るために努力することって、そんなにいいことでしょうか?

ちなみに、わたしはそのフレーズ、全っ然、興味ありません。

でも、同級生とかとmixiやfacebookで久しぶりに繋がると、よく言われます。

「yoga Mukthi ちゃんみたいに、キラキラ生きたいな~」とか、
「すっごくキラキラしてて、楽しそう。」って。

もう、私ってどこに何を書いていても、皮肉も闇も全部、開けっぴろげなのにね(笑)
楽しいことも書くけど、どっちかというと、辛い気持ちとかうまくいかないことを、SNSで書きながら消化して生きてきたタイプです。
だから、いわゆるリア充の日記やタイムラインじゃなくて、

今自分自身の心のどんなところと格闘していて、どんなふうに行き詰まっていて、
それでもって、その先に光ってあるのかな?あるといいなぁ。
いや、その先にある光しか求めてないから、このままどっぷり悩んでやるぜ!

みたいな書き込みが、どう振り返っても多いんですよ。

で、言ってることが昔から全然変わってないんです。

もちろん、すごくすごく成長してると思います。(自信満々!!!)
昔の自分と比べてね。

でも、「きっと、この悩んだ先に見つかる生き方、あり方はこうだろう。それを追求したい」っていう、
【ソレ】は、全然変わってない。

(もっというと、小学生の頃の日記から、全然変わってないんです。
10歳の日記、12歳の日記、15歳も、18歳も、
今と同じこと考えてるんです。
その頃に、その視点で物事をみても、誰も理解してくれなかった。
同級生も、先生も、親も。
でも、今になって読み返して、はげしく同意するんです。
10年以上考え続けたけど、やっぱり、そうだったよ!って、昔の私に言ってあげたい(笑))

【ソレ】は、見る角度によって色んな言い方ができるけど、
今日取り上げたい【ソレ】は、

他の何者にもなれない。ただ、わたしは私で在るだけ

ということ。
自己紹介にも一応書いてあります。
ほかの誰でもない、自分自身になるためのレッスンをしています、と。

mixiやfacebookの、私の書き込みをみて、
「見ると、自分と比べてしまって辛くなるから、友達削除してたんだ。ごめんね。」
って、言われたこともあります。
yoga Mukthiの書き込みを見てると、自分と比べてとても辛くなるという類の話は、色んな意味で結構言われてきました。

中には、自分が偽りの【リア充】を一生懸命演じてるから、
何にも演じてないわたしが、ただ私自身のために、
「何が幸せなんだろう?自分を偽りたくない。」
ってつぶやくのが、目障りなんでしょう?
それって、あなたが、偽りだらけの感情で自分を着飾ってる何よりの証拠じゃないの??

ってことも、昔は良くありました。

でも、そんな環境から、必死に脱皮して
わたしは、わたしらしく生きられることを最優先して、ある意味わがままに突き進んできました。

当然、傷つくことはたくさんあったし、納得できないこともたくさんあったし、
うまくいかないこと、
楽しくないこと、辛いこと。

私らしくいられることを最優先する為に、手放してきたものは、たくさんあります。

時には、なくしたくない人間関係であったり・・・。

それでも、それ以上に、わたしは、私でありたかった。

わたしでいられる生き方をするために、歩んでいきたかった。

ただ、それだけなのです。

わたしは、他人からみて、私の生き方や存在がキラキラしてるかどうかなんて、気にしていないというか、
気にしたくないです。

その為に、「キラキラしている何者か」になんて、なりたくないし、面倒くさいし、疲れるし(^^ゞ

うん、やっぱり単純に、興味がないのです(笑)

それでも多分、余分な装飾とか鎧とかを外せば外すほど、私の存在は、人から輝いてみえるんだと思います。

でもそれは、いわゆる【キラキラ素敵】とは違って、

カルマ(魂のチリやほこり)を掃除し続けた結果である、

純粋な魂の光なのだと思います。

あ、私がカルマが少なくて純粋な光り輝く魂なのよ、オホホっていうわけじゃなくてねヽ(´Д`;)ノ

誰もが、ただありのままの自分であるだけで、すでに光輝いていると思うんです。

それを、どうか無下にしないで欲しいな、と、

友達の落ち込んだ様子の書き込みをみながら強く思ったんです。

変わる必要なんてないじゃん。
欠点も、長所も、全部あっての Aちゃん なんだから。
ありのまんまで、充分素敵なのに、なんで誰かが決めた【素敵】基準に達してないって落ち込むの?って。

今、ここに集中するっていうのは、

過去や未来のことを考えないってことでもなくて、
違う場所のことを考えないってことでもなくて、

ありのままの、あなた自身で、今ここに存在する、ってことです。

ありのままでないのなら、それは、今でもココでもない。

だからね、なんか過去を思い出した瞬間に、「ダメダメ、今ここに戻らなきゃ」って言い聞かせましたって感想を言う人もいるけれど、
それってなんか、違うよ。って、

言いたいのだけど、話がどんどん終わらなくなっていくので、このへんで。

おやすみなさい(笑)