魂の在り方と意識・感覚

哲学者アディ・シャンカラチャリア

哲学者シャンカラ

ウパニシャドを読み始めたら、初代シャンカラの事が頭から離れなくなったので、ちょっと書いてみます。

シャンカラとは、8世紀頃に活躍したヴェーダンタ派の哲学者で、
現代に残るヴェーダ等インドの聖典に関する注釈は、
ほぼ全てシャンカラの解釈に依っている、と言われます。

ここから先は、私が見聞きした情報を元に感覚で書いているので、
かなりわたしの色眼鏡にかかっているかと思われます事をご了承ください。

まず、シャンカラを初代シャンカラと書くことについて。
初代シャンカラの弟子の中で、
東西南北の4つのシャンカラチャリアのお寺を引き継ぐ事になった方を、代々【シャンカラ】とお呼びしています。
つまり、常に現在のシャンカラは4人存在するということです。
現在は、西の先代シャンカラ亡くなってから北のシャンカラが西と北のお寺のシャンカラを兼務している状態らしいので、
3人らしいです。

そして、代々のシャンカラはその記述、文献を「シャンカラ」として残してきたために、どれが初代シャンカラの言葉なのかという事も学者の間では大きな論点となるようです。

本日ここで書くのは、そんな初代シャンカラ氏の事です。

初代シャンカラは、既に仏教化していたヴェーダンタから取捨選択し、仏教的教えにヴェーダンタの性格を与えることでその後の1500年続くヴェーダンタの解釈を作りました。
インド哲学をウパニシャッド主知主義に回帰させた哲学者で、裏では(?)仮面の仏教徒とも言われています。

インド哲学ではヴェーダを聖典とするか否かが、まず最初のポイントとなります。
ヴェーダを聖典と認めるものが、サーンキャ、ヨーガ、ミーマンサー、ヴァイシューシカ、ニヤーヤ、ヴェーダンタの6派。
認めないものが仏教、ジャイナ教などです。
まず、私が疑問に思ったのは、インド六派哲学と言いながら、どうして現在インド哲学を学ぼうとするとヴェーダンタを説いている所ばかりなのかということです。
ラーマクリシュナ、
ラマナ・マハリシ、
ダヤナンダ、
シバナンダ、
どこのアシュラムもヴェーダンタを説いています。

思想史を辿るうちに、10世紀までに、他の5派の主張を取り込みまとめる形でヴェーダンタが全てを引き継いだ為、と知りました。
その後、その主たる人物が哲学者シャンカラだったと知ったのです。

その頃私は半年インドにいたので、日本に帰ってきてからシャンカラについて調べました。
私が3年前何も知らずにインドへ行ってまず感じたことは、ヒンドゥー教に仏教の教えが反映されているのか、ヒンドゥー教の教えが仏教に引き継がれているのか、という点です。
「そのどちらでもある」という事では納得できず(笑)、歴史的変遷を知りたいと思っていました。
そして、シャンカラが登場する以前に、既にヴェーダンタが仏教化していたことを知り、シャンカラの残した思想を垣間見て、
インドで仏教(仏陀の教え)が衰退したわけではなく、シャンカラによってヴェーダ(ヒンドゥー教)と融合されたのだと思いました。
シャンカラは、ヴェーダンタを体系づけた人物、つまりインドの人たちから見たら、ヴェーダの聖典性を支持している聖者になりますが、
彼の詩の中には、ヴェーダの記述に反するものが見られます。

わたしのメガネを通して見ているせいだとは思いますが、彼はニュアンスを変えて、仏陀の教えを伝えているように思うのです。

一般的にブッダはヴェーダを否定したとされますが、
それは当時はこびっていたヴェーダの【誤った解釈】にNoと言ったのではないかと思います。

インドのカースト制度は、ヴェーダの記述に基づいています。
仏陀はカースト制度を否定したと言われますが、同時に、自らに与えられたカルマ(役割、仕事)を全うせよと説いています。

仏陀自身、クシャトリヤ(貴族)階級として王家に生まれ、
クシャトリヤにとって大切なカルマを終えてから出家しています。
即ち、息子(世継ぎ)が生まれるまでは、出家しなかったのです。

シャンカラは、右でも左でも真ん中でもなく【中庸】を謳っています。
ヴェーダでもヴェーダンタでもサーンキャでも仏教でもなく、【私でも無い】と続きます。

仏陀自身、ヴェーダ(インドに5000年前から受け継がれている叡智)の真髄を受け継ぎ、
我々の煩悩のレベルで間違って捉えられているその【知恵】を世俗習慣にとらわれず伝え続けたように、
シャンカラもまた、ヴェーダ、そして仏教の中に受け継がれている【叡智】のみを引き継ごうとしたのではないか。

ラマナ・マハリシも、ラーマクリシュナも、
シャンカラの教えを受け継いだからヴェーダンタのうちの不二一元論を説いている訳ではなく、
自らの内なる知恵と、シャンカラの説いた不二一元論とが一致していただけだそうです。

インドにおいて真にグルと呼ばれる人たちは、
【真実の知恵】を説いているのであって、
特定の流派や特定の信仰を説いているのではないと思います。

それがキリストの教えで
あっても、イスラムの伝統であっても、
同じ【宗教=霊的成長を促すための教え】であるといった感覚でしょうか。

ヒンドゥー教という宗教は存在しないと言われる所以は、この辺りにありそうです。

仏教と神道が分離される前、
100年以上前の日本人なら、
なんの疑問も持たなかったかもしれないですね。

私は、仏陀に帰依しています。
そして、グル・シャンカラに帰依しています。

私にとって初代シャンカラは、

仏陀の教えを引き継ぎ現代まで残してくださった、

同じラインの偉大なる先生、なのです。

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