こんばんは。
ヨガはすべて、「自分自身の行為を選択する」ところにあると思います。
すべて自分軸。
自らの行為を選択する。
自らの行為は、自分のコントロールの範囲内にある。
けれど、その行為によって生じる【結果】は、自分のコントロールの範囲内にはない。
生徒さんだけじゃありません。
色んな方に、色んな事を聞かれますが、
ほとんどの質問って、自分軸(自分の行為を選択するための質問)ではなくて、
結果に視点が置かれているな、と感じます。
外で何が起ころうと、
今この瞬間の自分の行為を選択する自由が、ここにあります。
例え尊敬する師、上司、親などに
「こうしなさい」
とアドバイスされても、
それを受け入れるかどうかは、自分の自由意志の下にあります。
例え無意識下で言われるままに従っていても、
自由意志の範囲内にある以上、
あなたが望んでその行為を選択している、ということです。
無自覚なだけ。
無自覚・・・すなわち、無知、無明。
だから、今自分が何をしているのか、認識していくことがとても大切だと思います。
怒っていても、イライラを誰かにぶつけていても、
その行為に気づけていない状態では、何も始まらない、と思うので、
「気づけている」という状態はそれだけで非常にアドバンテージを持っている、と思います。
そして、話は本題へ。
先日の記事で、
私はヨガの教師という仕事の責任として、
生徒さんを依存させない、
と書きました。
依存しようとしてきた瞬間に、やんわりと距離を置きます。
それを「辛い時に支えてくれない。優しくない。」と感じて依存させてくれる誰か他のところへいこうとその人の自由ですが、
私は、私のところへやってきた
「私に依存して、私の邪魔をしよう」
という機会を失わせてあげた事で、
その人が「私の(修行の)足を引っ張る」というカルマをさせなかった、という事になります。
4ヶ月インドの同じ町に滞在している時に、
やってきては去って行く日本人を見ていて思ったこと。
本来(?)は、とても純粋で「悪いことはしたくない」と思っている人たちが、
ついうっかり外国人に手を出してしまうのも見てきました。(色んな意味で)
現地インド少年達に、年上の日本女性たちが性的にたぶらかして(いるようにしか見えない)、
「男の子が求めてきたの~」
って言っていることほど、気持ち悪いと思ったことはありません。
誰もが教育を受けられる国に生まれて、色んな情報を探すことのできる先進国という場所から来た女として、
少年でなくて青年やおじさんであっても、
ある意味何か情報や知識や経験の足りない国の人たちに対して、慮ってあげられる余裕がないのだろうか?と思った。
性的に求められたり、性的な話題を聞かれたりした女性にとって、
その男性たちは「そういうだらしない人間」だったり、「悪いやつ」だったりするのだろうけれど、
相手のそういう面を刺激しなければ、
例え基本的にいやらしい話題を好むおじさんだったとしても、とても紳士な対応を自分には向けてくれるようになります。
自分の行為・態度・在り方を選択することで、
相手に「いい人」でいさせてあげる。
自分が過ごしやすいだけではなく、相手も結構「俺だってジェントルマンだ!」といい気持ちになって、自信をつけていくと思います。
それが、私が思うイイ女かなぁ~。
やまとなでしこという言葉 には、
そんなスタンスで幼稚だったかもしれない男性を立派な男に育て上げる(着物を着た)女性、
みたいなイメージがあるのですが、
そういう女性に憧れます。
また、男性陣もです。
インドで散々な目に合う人、嫌な言葉をかけられる人、いいインド人に巡り会えない人、
いいインド人に巡り合えたと感動しながら去っていきながら、実は「いいカモだ」と思われておだてられ上手にぼったくられていただけなのに、気づいていないだけの人、
男女関係なく、こういう行為も、どんどん引き寄せていますよね。
引き寄せるなんて、目には見えない不思議な力でも何でもなくて、
簡単に言ったら、
日本人が発したその一言の中にインド人を心の底から馬鹿にしているのを感じる。
↓
インド人も心の底からイラっとする。
↓
なんとかこの日本人を馬鹿にしてやろうと思う。
↓
優しい友人のふりして気づかれないように最後まで演じ切る。
↓
感動しながら帰る日本人
↓
やっぱりこういうタイプの日本人が一番バカだなと覚えるインド人。
あ、この例えだと日本人は、騙されていたことに気づいていないか(笑)
ま、そんな感じで、その逆をしてあげられるような人でいたいというのが私の思いで、
例え誰かが、この日本人ぼったくれるかなー?とか落とせるかなー?って近づいてきたとしても、
この人の前では、正直にいよう。いい人間でいよう。
って、思ってもらえるように、いたいと思う。
通りすがりの人なんてどうでもいいけれど、
長期滞在していたら、ちょっと関わりたくないなぁと思う人間ともかかわらないといけない訳で、
そういう時に、距離を置きつつ、
ご近所さんのあの人に、
「いいおっちゃん」でいさせてあげる。
いいおっちゃんを、自分の色々をぶつけることで、
「面倒くさいおっちゃん」
に変えさせてしまったことだって、いっぱいある。
周りにいい人が多い、という人は、
その人自身がいい人を惹きつけるからだ、
なんて言葉を昔見たけれど、
周りにいい人が多い、という人は、
例え悪い思いをいっぱい抱えている人が周りにいても、
その人のいいところを引き出してあげられる人なんじゃないかな、と思う最近。
相手に悪いカルマを積ませる機会を逃していいカルマを積ませてあげる。
それはきっと、自分自身にいいカルマを増やしていくとってもいい行為なのだと思います。

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