(続きの記事がかけていませんが、なかなか言葉にならず・・・。
おそらく三日目以降の事はまた書けるようになるまで時間を要するかもしれません)
ふと思い出した、キープインサイレンスについて。
一年半前のある日のこと。
私「スワミジ、私はもっともっと自分自身に集中したくて、静かなこのアシュラムへ引っ越して(?)きました。
誰とも話さず、自分自身の内側にこもりたいのですが・・・」
スワミジ「思考や感覚が外界へ向いており、クリアになっていない(キレイになっていない)場合には、一般の人でも長時間のキープインサイレンス【沈黙の行】を行うことはできる。
なぜなら、 (どっちみち) 深く入ることはできないからだ。
しかし、君の場合には、まだ長時間の沈黙は必要ない。
一日、あるいは半日、時間を決めて行いなさい。
君のマインドはまだまだ、長時間の沈黙に耐える強さを備えていない。
不必要に長時間の沈黙にふける必要はない。
時間の長さは、問題ではないのだから。
半日から始めて、終わったら思ったこと気付いたことを、私に伝えなさい。
そして、翌日からまた沈黙に入れば充分だ。」
当時の私は、「君は長時間の沈黙に耐える強さを備えていない。」というような事を言われた事が、ショックでした。
言ってることは納得できる。
でも、悔しい・・・。みたいな。
ただ、今になって、先生の言っていたことがわかるようになりました。
何日もキープインサイレンスを続けなくても、
24時間、誰とも話さず、声を出さず、静かに過ごしてみれば、充分すぎるほどの課題が私の魂の周りには漂っていた。
それは、誰かと比べて私が濁っているとか、
10日間も沈黙を続けることのできる人よりも、未熟だという事ではなく、
仮にあの時、10日間の沈黙に入りますと宣言した所で、
きっと(スワミジが充分だと言ったのだから)24時間の沈黙であの時たどり着くことの出来る深さは変わらなかったのだろうと思う。
あるいは、私のストイックさゆえに、24時間以上続けてしまったら、
それ以上深く入り込んだところの【高い】エネルギーに当時の私は耐えられず、心身共に崩壊する危険だって潜んでいただろう。
先生というのは、つくづく、生徒の状態を生徒以上に知っているものだと改めて思わされる。
先生がどんな考えで、指導されるのか、
私たち生徒には、どう考えたって知ることはできない。
ただ、一歩一歩進んでいく先々で、少しずつ少しずつ、
「あぁ、先生が言われた事はこういうことだったのか」
と見えてくるものもある。
あの時、私は、沈黙の行をしていたら、他の質問やサーんキャ哲学の個人レッスンであれこれ聞けなくなってしまうのが嫌だったので、
「君はまだ長時間の沈黙は必要ない。」
って言われて悔しかったけど、
先生が1日でいいって言ったんだから、いいんだもーん!
と、24時間以上行うことを堂々と諦めたのですが(笑)、
反発して、言う事を聞かないような行為をしなくて、良かったなぁと思います。
ただ、徹底して沈黙の行を行わなくても、
日常の中で、同じような状態でいる事は求められています。
いつもレッスンで言っているように、
感覚を外に向けてしまうのではなくて、
絶えず内へ向けておきなさい。
感覚を内へ向けることができない人は、
いくら外界の刺激が少ない環境で何日も沈黙をしていたところで、
ベクトルは絶えず外へ向いたままとなっているのです。
内側という方向を知らないから。
それが、スワミが言っていたもう一つの言葉の意味だったのだと思います。
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