【ネットできるときにUPしてるので、記事作成とUPにタイムラグがあります】
仏教聖地めぐりからブッダガヤへと戻って、
ブッダガヤを離れるのは寂しいけれど、リシケシへ行こうと電車のチケットを取ろうと思った。
けれど、電車があいていない&制度が変わって、いつもチケットを緊急手段で確保してくれていた代理店の青年もそれが取れなくなったらしくて、仕方なく(or内心ここに留まれることに安堵して)、ブッダガヤにあと数日います。
といっても、することもなく、のんびりと日本寺の図書館で仏教の本を読んだりと過ごしていて、
「いいのかな?」
って気持ちがあった。
ここの場所は、好き。
大好きな人もいるし、心の許せる地元の友人もほんの数人だけどいる。
どこを歩いていても、誰かが私のことを知っている。
だから、この観光客と客引きのごった返す中を、女の子(見た目は幼く見えるみたい?)一人で歩いていても、
別にこちらとしては全然平気で危なくないことでも、誰か知り合いが(私は知らなくてもむこうは知ってる)常に守ってくれる。
ありがたくもあり、時にうっとおしくもあるけれど、
それでも、嫌いじゃないこの町。
とても自然体でいられる気がする。
けんかもするけど、仲直りは要らない。
インドの人たちとの付き合いはそんな感じ。
私がやっているヨガは、今しなければいけないヨガの実践は、
どこにいたってできる。
リシケシに行く必要もない。
けれど、ブッダガヤにいて、
「本当にしなければいけないこと」=「自分自身の心と向き合い整理すること」
をするよりも、
リシケシへ行って、ヨガのクラスに参加して身体動かして
「インドでヨガしてきました!!」
って言える方が楽だから・・・、
向き合いたくない自分自身と向き合わなくてもすむように、
早くリシケシへ行きたいと思っていた。
ただ、たまにとても自分自身が澄んでいると感じることがある。
そんな時は、関わる全てがスムーズに流れて、
世界は自分自身の在り方次第なんだなって、その度に思う。
そして、いつの間にかここであるお坊さんから仏陀の説いた基本的な教えを講義のように教えてもらうようになった。
そして、それはとても今の自分に必要な事だった。
とても当たり前のこと。
なのに、いつも「違う何か」を求めて、「ここ」から離れていこうとしてしまう。
今朝は日の出と共に、違う村へと1人で歩いて行った。
地元の少年が畑のあぜ道を案内してくれてすぐに着いた。
仏陀のゆかりの場所の隣に建つヒンドゥー教寺院。
そこで唱えられている祈りのマントラ。
どうしようもなく懐かしくて、何度も何度もぐるぐると歩き回った。
瞑想してもいいかと聞いて、場所を探して瞑想した。
観光客のいない、地元の人の祈りだけがある場所。
そんな場所は久しぶりだった。
仏陀への敬愛はあっても、どうしても仏教が好きになれない。
今朝のそのヒンドゥー教寺院での時間は、久しぶりに落ち着いた瞬間だった。
1人英語が話せるおじさんがいて、とても優しく、座ってていいよと言ってくれた。
明日も来よう。
帰り道、またあぜ道を通ろうとしたら、
あぜ道にもいい道と悪い道があるらしく、
頭にナスをいっぱい乗せた女の子が、親切に案内してくれた。
12、3歳くらいだろうか。
とてもシッカリとしていて、背筋をシャンと伸ばして自信があって、
楽しく色々と話をしたのに、分かれ道であっけなくスタスタ歩いて行ってしまって少し寂しく思った。
もたもたと歩いていたら、
別の道をズンズン歩いていきながら、何度も何度も振り返って私の様子を心配してくれてる。
倍以上も年上なのに、甘ったれな自分を恥ずかしく思いながら、
せめてしっかり大地を踏みしめようと、強く足を踏み出してみた。
この国はいつだって、
自分が負の感情を抱えているとそれと同じ出来事を与えにきて、
澄んでいると澄んだ人達を送り込んでくれる。
そして、先生もいつだってどこにいたって、ちゃんと現れてくれる。
先日、比丘に言われた事。
「賢くなりなさい。
ブッダは真実に気付き、それを話した。
でも、我々はブッダの話す真実(教え)を聞いても、真実を知ることはできない。
いくら勉強しても勉強しても、「それ」は理解できないんだよ。
仏陀がしたように、そして「こうしなさい」と説かれたように、それを実践することによってのみ、知ることができる。
瞑想しなさい。
自分自身を信じなさい。
仏陀に祈っても、何か特別な力に委ねても、それは理解できない。
そして、それ を理解できる人はとてもとても少ない。
けれども、ほんの少しだけ、確かに それ が理解できる人がいる。
君は、賢くなれる。
だから、賢くいなさい。
多くの人は(先生であろうと僧侶であろうと)、何を頼って何をして何を求めるのか、わからないだろう。
だから、君に間違った事を教え、求めることもあるだろうが、
常に賢く、自分で考えて決めなさい。君は、賢いだろうから。」
ありがとうございます。
ブッダガヤに行くたびに日本寺でこれ読んでます(笑)↓
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