魂の在り方と意識・感覚

目覚めると会話が成り立たないというジレンマ

究極の悟りを得た場合だけではなく、
気づきを得、意識がクリアになっていく段階で・・・、
特に、大きく内面が変化した時などは、それまでと同じような思考回路で話す周囲と
話が噛み合わなくなってくる事って、大なり小なり誰にでもあると思います。

悟りは関係なく似たような感覚は起こりますが、
真我を求め、真実に気づいていくとより一層、
世間の「当たり前」の概念に以前よりも巻き込まれていない自分自身に気づくでしょう。
すると、真実以外の「何か」に巻き込まれているのが当たり前だと認識している人達の話が聞けないし、共感できないし、何も言葉が返せない・・・という場面が必ずやってくると思います。

人は、本質の部分では、誰もがその究極の真理を求めて生きているので、
本質に近づいている人たちが、他人の本質を呼び起こさせてしまう事に対して何故か引き寄せられてしまうのですが、
同時に、マインドがそれを好ましく思いません。

「無意識下では気になるのに、気に入らない」のです。
そういう、無自覚なイライラや焦り、攻撃性や、反対に不自然な冷静さなどが、
「質問」や「相談」という形で、その人自身で解消できないモヤモヤをぶつけてくる事が起こります。

「悟ってるなら答えられるはずでしょう。」
「何かに気づいているならわかるはずでしょう!!」
「私をこの苦しみから救ってよ!」
と、要求してくるのです。

これは私自身だけの体験ではなく、あらゆるレベルで、目覚めや気づきが起こった時の体験として私の周囲の人たちも悩んできたのを何度も聞いてきました。
これからも、あなたが成長するたびに、似たような感覚はやってくるでしょう。

そんな貴方の為に、ムージのこのアドバイスを訳したので参考にしてみてください。

中には、「目覚めていない」という言葉に過剰反応してしまう人もいると思いますが、
そういう人は、自分の中にある「目覚めていない」という概念に反応しているだけなんですよね。

「目覚めた人と目覚めていない人。
 そんな風に分ける事自体がおかしい」という人もいるかもしれません。


「目覚めていない人」という単語に居心地の悪さを感じる人は、自分自身のその感覚に正直になってください。
それをもっと深く感じてください。


気づきの途中にいる時には、言語上でしか理解できない事ですが、
本当の意味で目覚めた時、以前のようには「目覚めている事」に対する特別な感情を持てない事に気づきます。
気づきは常にあり、目覚めている意識自体が真実であり、目覚めている意識自体がこの世界そのものであると気づいた時に、

「気づいていない」事にも意味づけなどないと悟るからです。

現象世界で(通常の認識下で)想像しうるどんな「気づき」も「悟り」も、
存在しない事をしるからです。

私たちの本質自体が気づきであり、
悟りや目覚め、気づきさえも存在しないと同様に、
気づいていない、目覚めていない瞬間などないからです。

ずっと悟っていて、ずっと目覚めていて、それでよかったんだと思うのです。


だから、無理やり説明をするとしたら、

「目覚めていない」という事象に対して、特定の価値観を持っていないのです。

おそらく、様々なフィルターを外してもなお、
「目覚めている状態」には「良」を、
「目覚めていない状態」には「Not Good」というラベルがくっ付いているのではないでしょうか。

「ない」というのは、このラベルの事なのです。

どれほどマインドの領域がクリアになっても、どれほどノイズが消えても、
マインドには何かしらの「判断」や「評価」が伴います。
それがマインドの、・・・プラクリティから派生した「知性」の持つ性質だからです。

目覚めていない状態、は在ります。
展開した世界として、存在します。

気温が28度の状態と、0度の状態では異なる世界が存在する様に見えるように、
様々なコンディションが存在します。

だから、目覚めた人と、目覚めていない人は存在します。
しかし、現れている状態が違うだけで本質は同じなのです。

純粋意識としての「目覚め」は、
目覚めていないコンディションの中にも、コンディションそのものとしても、同時に存在しているのです。



自我の消失。目的の消失、理由の消失




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です