魂の在り方と意識・感覚

わたしが世界を認識しなかったら世界は存在するのか?_No.2 神の直接的体験(とその忘却)

10歳の頃の体験

上の記事の続きです。

これらの事を感じていると、最近よく10歳の頃の体験を思い出します。
我が家は信心深い家庭でもなく、神社仏閣へはイベントや観光でいく程度でした。
両親が、宗教的な事に一切興味がなかったんですね。

あえて宗教的な事を思い出すなら、
祖父の仏壇で唱えられるお経が好きだった事、
祖母が女学校時代を思い出して歌ってくれた賛美歌が好きだった事、
近所の歴史ある神社が、公園で遊び飽きた時に気軽に散歩に行ける程近くて、そこは木と鳩が多胃から好きだった事、
くらいかな。

10歳の時に転校し、意味のわからない嫌がらせを受け、死にたいと思っていた時、
母が私を励まそうとして「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言ったのです。

そして、私はその母の信仰も何もない詭弁に腹を立てたんですね。
もう、なんでかわからないけど、めっちゃ腹が立った。笑

そんな辛い厳しい事をいわないでよ!って言う気持ちよりも、腹の奥底から、母に対して
「神を知らないお前が言うな!!」みたいな怒りが湧いてきたんですよ。

よくわからない怒りと絶望の中で、「神って何?」と思い始めた私。

神とは何だろう?

そもそも、私とは何だろう?
この世界は何だろう?
この私という意識が認識をしなかったら、ここに世界は存在するのだろうか?
世界が存在するのか、私と言う意識が存在するのか??
私の認識が変わったら、同じ世界は存在していないのではないか?

などと、様々な疑問が浮かんでいたのですが、
そのうちに、ある体験をしたのです。

子供だったので、その体験の意味を頭では十分に理解していませんでした。

ただ、
「これが神であり、これが依りかかるべき軸であり、これを知らないから、人々は盲目的に迷ってしまうのだ。この軸を持たないから、日本人は特に弱いのだ。」
ということだけは言葉にし、日記に記すことができました。

実際の日記にはもっと長文で書いています。子供の頃は日本人しか知らず、海外のキリスト教徒などはこの神を知っているのだと思い込んでいました。
大人になり、少し他国を知り、様々な国、宗教の人達と出会っていく中で、「誰も神を知らない」という事を知りましたので、「日本人は弱い」と書いている部分は今では「人は弱い」もしくは「現代人は」と書き換えたいところです。

さて、ここでタイトル回収。

「わたしが認識しなかったら、世界は存在するのか?」

存在しません。
ブラフマン、プルシャ、プラクリティなどの実存、真実と言われるものは存在するのでしょう。
しかし、この「わたしという認識」があるからこそ、世界は今このように在るのです。

しかし、ここからが大切な事ですが、
この「わたしが認識するから世界がこのように在る」という事を、
マインドが受け入れようと受け入れまいと、問題ではありません。

むしろ、そんな言葉をわかったつもりにしてしまう事の方が、貴方を「わからない方へ」と導いてしまいます。

さらっと書きましたが、10歳の頃のわたしは、何を問いかけたのか?が重要なんです。

「わたしが認識しなかったら、世界は存在するだろうか?」
「そもそも、わたしは誰か?」

この問いかけが重要なのです。

「わかる事」が重要なのではなく、この問いかける姿勢が大切なのです。


そして、この問いかけと共に命を生き、
絶えずその答えの方向へと歩み続ける時、
その途中で必ず、真実が明らかになる瞬間がきます。

そのタイミングは決まっている訳ではありませんが、
選べるものではありません。

悟りは、悟ろうとして起こせるものではなく、悟り自らがやってくるのです。

そのタイミングが今生なのか、来世なのか、それはわかりません。

ただ明らかなのは、我々はすべからく、その真実に惹かれるようにできており、
魂の旅路のどこかで、真実に向かって生き始めるようになり、
真実に惹かれそれにとりつかれ始めてからは、それまでとは生き方が変わり、
真実の方向へと向かっているうちに、
どこへ向かわずとも、悟りは全ての場所、瞬間に偏在している事が、明らかなほどに明らかになる時が来るのです。


問いを保持したまま、あやふやなものをあやふやにしたままにできる力は、
波動が軽くなっている証拠です。
波動が高くなっている証拠です。


白か黒か決めなければ気が済まない。グレーか黄色か、とりあえず何かでラベル付けしなければ落ち着かない。
そういう気持ちが湧いてきても、
その事をただ認識し続けます。

それがいいとか、悪いとか、劣っているとか進んでいるとか、一切ジャッジする事なく、
ただそのままにしておきます。

無視するのでも、追い払うのでもなく、
ただその落ち着かなさ、受け入れがたさ、納得できない気持ち・・・
それがそのまま、そこに在る事を認めています。

ギュッとそれを抱きしめ続ける訳でもなく、変容させようとする訳でもなく、

ただそれらがここにある事を、認識し続けながら、

貴方の人生を、今日1日を生きてください。