ストレスの捌け口にインド哲学を整理してみる
こんにちは。
先日、LINE登録してくださっている皆様に「エゴ」という言葉をどう捉えているか、
一人一人解釈が異なると思うから教えてください!と聞いたらたくさん返信をくださってありがとうございます。
一人一人異なるんだけど、聞いているうちに何が「エゴ」で何が「本当の自分・本質・神」なのかが見えてきそうで、みなさんすごーい!面白い!と思いながら読んでいます(^^)
簡単にですがお一人ずつ返信させていただきますので少々お待ちください。
さて、ここ数日、おそらく過去1年間・・・いや、過去1年半の中で一番(色々な締め切りに)追い込まれていて、
悠々自適に「Be empty 」を実行できるニート生活を満喫していた身にはとても懐かしいストレスがかかっております。笑
アウトプットできずに頭に思考が貯まるのも良くないと思ったので、
作業の息抜きに、多分、一番私が落ち着くであろうサーンキャの話をして思考を整理します。笑
以下は、主に Seven system of Indian philosophy から内容をまとめたものです。
インド哲学は2つの系統に大別される
- Satkaryavada … 結果(effect)は原因(Cause)の中に存在する。
- Astkaryacada … 結果はマニフェスト(具現化?)に先立って原因に存在しない。
サーンキャ学派は、Satkaryavada。
Advaita Vedantinsアドヴァイダ・ヴェーダンダ派(不二一元論)は、Vivartavada。
(→ Wikipedia Vivartavada)
サーンキャ学派の基本概要
世界を根本まで遡ると、2つのそれ以上分けることのできない根本原因へと到達する。
サーンキャ哲学は世界でも珍しい 二元論(デュアリズム) を主張する。
- プラクリティ … 意識ではない原理。Unconscious principle
- プルシャ … 意識、the Self
どちらも自我(自分という意識)を含んでいるが、
THE SELF は肉体・感覚・マインド・知性とは異なる。
THE SELFは自ら輝いて、変わることなく、引き起こされることもない。
全体に充満していて、不滅の実在である。
生み出されるものは全てプラクリティであり、
変わるもの、死ぬもの、荒廃するものなどは全てプラクリティである。
また、進化するものは全て、THE SELF ではない。
THE SELF を体、感覚、マインドや知性などと考えることは無知ゆえであり、
プルシャ(THE SELF)を世界の事象と混同することもまた、無知ゆえに起こることである。
プルシャを世界の事象と混同したりマインドや知性などと考えることにより、
それは変化の濁流に飲み込まれることになり、
それ自身を痛みや喜びの主体であると感じ始めるのだ。
サーンキャの主張 プラクリティについて
肉体・マインド・感覚を含む宇宙全体は、
- ある特定の現象に 基づき、
- ある特定の現象に 限定され
- ある特定の現象に よって生み出されている。
これらは全てプラクリティの性質である。
他の、Carvaka、仏教、ジャイナ教、ニヤーヤ学派、ヴェイシェーシカ学派などの哲学は、
地・水・火・空気の元素が世界の物質原因だと主張するが、
サーンキャによると、物質原子は「意識」などの精妙なものを生み出すことはできない。
それゆえ、探求者は、
全ての物体とその精妙な側面がどこから派生しているのか、
その原因をどこか別のところで探さなければいけない。
種が木に成長した時、
種に潜在的に含まれる性質は、木の中に見ることができる。
その究極的な原因を、プラクリティと呼ぶ。
(結果は原因の中に存在する)
サーンキャの主張 プルシャについて
サーンキャでは、1つ1つの生命体に多くの意識の根本原理があり、また階層があるとされている。
1つの「THE SELF」が全ての生命体に結びついていると仮定すると、
一人が死ねば、全ての人が一斉に死ぬことになる。
しかし、そうはならない。
個人の誕生や死は、他の全ての人の誕生や死を引き起こさない。
1個人が盲目や難聴であっても、それが全ての人に当てはまるわけではない。
仮に1つの「私」という意識(THE SELF)だけが全ての存在に行き渡っているとすると、
一人が活動すれば、全てのTHE SELFが活動し始めるはずである。
1人が眠れば、全てが眠る。
しかし、そのようなことは起こらない。
よって、1つの THE SLEF ではなく、たくさんの 「私という意識」が存在しているのだ。
(↑ まとめ、ここまで ↑)
エゴはプラクリティ
私たちが通常認識している、アイデンティティを伴う「私」という意識は、
プラクリティ(物質原因)です。
ボディ・マインド・スピリット (体・心・魂)
などというけれど、
サーンキャによれば、マインドやスピリットでさえ、
限定され、変化し、生み出されたり消滅する性質をもった
物質
です。
・・・では、私は誰?
だから、「Who am I ?」という問いがインドの覚者達が最終的に行き着く唯一の問いなのですね。
さて、次はいよいよ、プルシャ、プラクリティの存在証明をしながら、
プルシャ、プラクリティについての理解を深めましょう。
・・・深めることのできる知識、その「理解」は??
そう、プラクリティ、です。笑
ではまた!!
(↓ こっちの記事は完全に私の個人的な体験、体感です)
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