魂の在り方と意識・感覚

ニーム・カロリ・ババ 愛という奇蹟

この写真を見てるだけで込み上げてくるものがある。


先日、私にとってシルディ・サイ・ババは、おじいさんのようだって書いたのですが、

憧れであり、厳しい師であり、優しいおじいちゃんであり(!)、
何度家出しても迎えに来てくれるだけでなく、
温かいシチューも用意していてくれるけれど、
ご飯の前に宿題ねって、どっさり置いてある宿題の横で微笑んでいるような・・・

私にとってシルディ・サイババはそんな存在です。(どんなやねん)

ようやく(図書館で)手にすることができた、
このニーム・カロリ・ババについて書かれた日本語でのほぼ唯一の本。(しかしすでに絶版)

さっきこれを読んでいたら、ババとかインドでよく使われる年長者に対する尊敬の意味を込めた呼び方、聖者や賢者だけではなく「おじいさん」という親しみと尊敬の念を込めて、時に清掃作業員に対しても気軽に使われる、という一節があった。
サイババの事を、ババ、ババーーーーって呼ぶのは、「おじいしゃん(; ;)」って感じで合っていたんだ。笑

自分の忘備録として、一部抜き出してメモしておきます。

(* ここに出てくる マハラジという敬称はニームカロリババのことを指しています。)

マハラジは怒りに悩まされる人々に対して、さまざまな方法で接していました。
遅かれ早かれ、それらの方法は全て怒りを表面に浮かびあがらせ、私たちが怒りを手放す助けになりました。(中略)

マハラジの口があまりに悪くて、マーは泣いてしまいました。
するとマハラジは言いました。
「わたしの罵倒を聞けるほど強くなければ、おまえ達は世界を直視することはできない」

わたしと親しい者は叱られる。
聖者は決して怒らない。
わたしがお前たちに腹をたてることはない。
たとえ夢の中であっても。

ある日、マハラジの部屋の窓の外に立っていると、中に呼ばれました。部屋にはマハラジとダダがいました。足を踏み入れたとたんに、私はふだんとは違う意識状態に入ったような気がしました。とりわけ、ハートチャクラの所に大きな穴が空いているのがわかりました。私のハートチャクラは、ぽっかりと口を開けた空っぽの暗黒だったのです。かろうじて見聞きすることはできましたが、きっと口はぽかんと開いたままになっていたでしょう。私は瞬きすらできませんでした。
 二人は話をしていました。マハラジは私を見て、ダダに話しかけ、ダダがそれを通訳してくれました。それによると、私が住む村の住人はみんな悪意があり、マハラジに対する愛がないので、訪問することはできないということでした。
 それから、マハラジは私を部屋から出しました。
あとで、ふだんに近い意識状態に戻った時、私は、自分の心が俗世の欲望に溢れ、マハラジの愛が入る場所がないので訪問できないといわれたように感じました。でも、このダルシャンによって、私の心はマハラジが入ってこられるように掃除されたような気がしました。

心の鏡を洗い清めなさい。
そうすれば神を見るだろう。
たとえ誰かに傷つけられたとしても、愛を与えなさい。
最悪の懲罰は、心から人を追い出してしまうことだ・・・。
全ての人を神として愛さねばならない。
互いに愛しあいなさい。
互いに愛しあうことができなければ、
お前たちはゴールに到達できない。

クンバク(息を止めておくこと)は、
バクティ(献身)を通じても可能だ。
感情が極まる時、
呼吸は止まり、
精神は一点に集中する。

物理的な次元に置いて、
グルに会う必要はない。
グルは自分の外にいるわけではない。
どんな人でもグルになりうる。
グルは狂気の人かもしれないし、普通の人かもしれない。
いったん受け入れれば、彼は神々の中の神となるのだ。

マハラジは崇高な聖者たちに、このうえない尊敬と愛をもっていました。運よくマハラジがそのような存在について話すのを聞けたときは、彼がまるで心の底から愛しあう家族について語っているような気がしました。このような存在の事を、マハラジが話したり、思い出したり、考えたりする場合、その声の質から、彼らに対する関係の深さが伝わってきたのです。
とりわけ、キリストやラーマクリシュナ、ハリアカーン・ババ、タイランガー・スワミ、シルディ・サイ・ババ、ラマナ・マハリシ、二ティヤーナンダ、アーナンダ・マイ・マー、ソンバリ・マハラジ、デオーリア・ババ、そしてシヴァナンダについて話すときはそうでした。

シルディ・サイ・ババの写真がマハラジの足もとににおかれました。マハラジはすぐに居ずまいを正すと、手に写真を持ちました。そして、「これはここではない。彼はとてもいいババだ」といって、頭の近くに置きました。

最後の日のことです。マハラジはみんなに足をあらわせると、好きなだけ残った水を飲ませました。とても嬉しそうでした。最初のうち、「今日は外出しない」と言っていましたが、30分ほど休んでから「やっぱり出かける。車を呼びなさい」と言い直しました。そして、Tが脈を取ろうとすると、「お前も医者になったのか」と冷やかしました。Tは検査しましたが、脈が見つかりません。
「マハラジ、こういういたずらを続けていると・・・」
「よろしい、15秒だけだ」
今度は、完全に正常な脈がありました。最後の日、マハラジはふだんとは反対に、陽気で楽しそうでした。いつもは誰にも気づかれないように、その場を立ち去っていたのです。TとDは二人で話し合いました。
「マハラジはあまりにも幸せそうだ。ふだんとは全く違う。」
するとマハラジは「わが家に帰るときは、みんな幸せなものだよ」と言ったのです。

「頭で倒立するときには、バターを食べなさい。不純なものを食べている場合は、頭で倒立してはならない。不純な食物がマインドに入って影響そ及ぼすからだ」

おそらくバターではなく、ギーですね。
バターは不純物。ギーはサトヴィックな食べ物です。

欲望を抱いたまま、ハタ・ヨーガをしても効果はない。
今日、本当にハタ・ヨーガを知っている者はいない。

書物からハタ・ヨーガを学んでも効果はない。
かつてハタ・ヨーガの実践者は断食をしたり、薬草を用いていた。

「シッディ(力)というものは存在するが、あまり使うべきではない。それは霊性を手品に貶めてしまう」
マハラジはそのような聖者たちについて、こう言いました。「好きなようにさせてあげなさい。南部には、奇跡を追い求める聖者もいるのだ」

マザー、私は何をしたら良いのだろうか?
私の後についてくる眼はひとつもない。
誰も私の事を知らないし、
誰も私を理解していない。
私は何をしたら良いのだろうか?

(マハラジ最後の日の言葉)

図書館にあってよかった。
kindleにあるならキンドルで買おうかと思ったのだけど、この本は電子化されていなかった。

でも、英語版は手に入れたので読みたくなったらいつでも読めるか。

また日本語版を読みたくなったら図書館へ行こうと思います。
誰か図書館に入れてくれた方ありがとうございます。
そして、日本語訳をしてくださった大島さんと片山さんに感謝。
この膨大な訳をしてくださった方がいるから、日本語で読む事ができているのだと思うととても有難い事だなと。

この本がもっと広まると、日本人の集合意識も高まっていくんだろうな。


以前、ニームカロリババにもらったメッセージ。

上の日記から抜粋

「愛しなさい。
 その中心軸を、大切に自分の中心に保持していなさい。
 決して離さないように。

 物理的にもう会えないと思っていても、愛していなさい。
 あなたがあなたの愛を掴み離さなければ、全ては森羅万象自らが姿を現し、目の前に明白に提示されます。
 何かをしようとか、どこへ行こうとか考える必要はありません。
 あなたが想像していない事が起こります。何を計画しても、全ては無駄です。
 でも、あなたがあなたの愛をしっかりと感じていれば、そして愛そうとしていれば、

 あたなはいつどこで何をしたらいいのか、わかります。
 森羅万象に全て委ねて、大切な人と向き合い、愛を育みなさい。」

去年ニームカロリババのアシュラムを訪れて以来、すっかり大好きになってしまいました。
いつもそばにいてくれるのを感じています。



ピュア ギー アムール 1L Amul Pure Ghee【澄ましバター バター インディアンギー】