魂の在り方と意識・感覚

バドリナート紀行 2019 その1

Rudra Prayag

5年ぶりにジョシマート・バドリナートに行ってきた。

近付くにつれて長い夢から覚めて、自分を取り戻していく感じがした。

一般的に “見えない” とされる精妙な波動は、ある。
イルカに聞こえる音が人には聞こえないだけで空気(水)が振動しているように、犬に感じられる匂いの物質が空気中に存在するのと同じように、「ある」のに、鈍感になったセンサーがキャッチ出来なくなっているだけ。
オームという聖音がこの世を表す音である。
ヨガにそれ以外の知識も方法も必要ない。
オームという音から学ぼう、知ろうとする意思以上には。

デリーから夜行バスで出発して、リシケシからタクシーをチャーターしてジョシマートを目指した。
ジョシマートで2泊してエネルギーを慣らしてから、バドリナートへ行く予定だった。
けれど、ハリドワールから先は渋滞で、ジョシマートへは辿り着けなかった。
オンシーズンのためホテルは直前に滑り込みで取ったのでキャンセル出来ないプラン。
でも、朝5:00から待機してたドライバーさんに、日が暮れてから無理して山道を走ってもらう事は出来ない。
一つ町を逃してしまったら、次の町に着くまでまた1時間くらいかかる。

次のKaranprayag で泊まる事にした。
オンシーズンで部屋代も高いのに、2部屋分払わなきゃいけないなんて、という気持ちが出てくる。
ドライバーも、疲れて苛々してるのか、理解できない言動が増えてきてイラッとする。

何よりも、自分に対する不信感が出てくる。
私の一番弱い部分、自分に対する信頼のなさ、それは

「私は、神に歓迎されていないのでは」

という恐れに繋がる。

デリーで夜行バスが見つからなかった時も、「神に反対されているのかも」という思いに不安になった。
多くの存在に導かれ、たくさんの祝福をいただきながら、ヨガの道を歩く事に、数々の見える存在・見えない存在に期待される事に耐えきれず、ヨガを投げ出した私に、再びジョシマート・バドリナートに行く事は許されていないのでは。。
それならば尚更、ジョシマートという私にとってとても大切な聖地に着く前に、一呼吸置いてエネルギーを整え直そう。
神への門をくぐる前に(既にハリ・ドワール=神への門 は通り抜けてきたけれどw)、波動を整えよう。
そして、何が神の答えであってもそれを受け止め、行けるところまで行こうと決めた。
無事、Karanprayag に部屋を見つけてから、ジョシマートのホテルに、「(どうせ返金されないのだから)明朝早くにチェックインするから部屋をキープしておいて」と電話で伝えた。
すると、「そもそも私の予約はダブルブッキングで予約サイトに拒否の連絡を入れていた」との事。明日の部屋もないと言われた。
お金は予約サイトから帰ってくるはず、と。

あ、一個課題をクリアできたんだなと思った。

「神に歓迎されていない」という自信のなさに飲み込まれそうになったけれど、それでも「辿り着きたい」という意思を持ち直した事に、オッケーのサインが出たと思った。


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