魂の在り方と意識・感覚

天気を操る魔術 神通力とまやかしの霊力

2013年に書いた記事が、なぜか2019年の夏からアクセス数が急増していたので不思議に思っていたのですが、

2019年10月にインドで、映画「天気の子」が公開されたので観に行ってみたら、アクセス数急増の理由がわかった。

私は今だに晴れ女で、この間も40分ほど歩かなきゃいけない時に雨がポツポツ降り始めたので、「あと1時間待って」と願ったら、家に着くまで降られませんでした。(そのあとは雷&雨)

周りの「晴れ女」たちは一様に傘を持ちません。日本には結構、晴れ女、晴れ男がいますよね。

ーーーーーー(以下は、以前のブログより転載)ーーーーーーーーーー

以前、【神通力】という内容の記事を何処かで書いたと思うのですが、

最近、その仏陀や聖者たちが当たり前に備えている【神通力】とは異なるまやかしの霊力についての理解が進んできたように思います。

それをまだ説明はできませんが、序章のように少しずつ書いていけたらいいなと思います。


今日は、私の子供の頃の事についての懺悔と、そしてそれに付随して起きていた事を話します。


私は、命を大切に出来ない人間です。

いまはベジタリアンであり、動物や魚などを殺してまで食べたいとは思いませんが、
じゃあ、【命】を大切に出来る人間なの?
ときかれたら、命を粗末に扱ってしまう愚か者だと言うしかないと思います。


どうやったら死ねるのかを知っていたら、死に至る機会は何度かあったと思います。
あぁ、これでやっと死ねるんだ、と自分の人生をおわらせようと最後の力を使った事もあります。

それだけではなく、自分自身のいのちをないがしろにして生きてきたという自覚は多々あります。

植物はすきですが、自分勝手に購入して、飽きたらからしてしまいます。

ハムスターを買って欲しいとせがんで、そのうちに飽きて、あまり構わなくなりました。
そこで生きて動いている物体に、中学生の私は「面倒くさいな」とおもった事を覚えています。
そして、そう思った自分のこころの冷たさに、どうしようもなく怖くなり最低限「可愛がる飼い主」を演じた記憶がありますが、
ハムスターが亡くなった時、死んでしまって悲しいというよりも、
「自分の欲しい欲しいという欲望の為に君を家に連れてきてしまってごめんなさい。私のワガママの為に2年(3年?)も君の人生をこんなところに閉じ込めてしまってごめんなさい。」
と泣き明かしました。

むかしから、動物を愛することの出来る兄に比べて、私は冷たい人間だと思ってきました。
小学校に上がるずっと前だと思います。
大好きなインコ達の誕生を喜び、ヒナの死を悲しむ兄を見て、

「私には、兄とインコ達の間に行き来するあたたかいものが理解できない。」
ととても冷めた目で見ていた事を覚えています。


そして、小学校に上がってすぐの頃、
町内の子供会では毎週末、公園でドッジボールの練習がありました。
ドッジボールなんて、人にボールを当てるor当たる恐怖に逃げ惑う競技なんて、大嫌いだったんです。
今でも、人生の中で最も嫌いな競技です。
どれだけ運動が出来る子に成長しても、ドッジボールだけは苦手でした。
当てられる恐怖が無理・・・(笑)

そんな苦痛なドッジボールの練習の日、低学年の自分たちに番が回ってくる前に、雨で中止にさせたかった私は、何度かある方法を使いました。

【アリを殺すと雨が降る】

そんな迷信を聞いたので、地面に座って待っている間に、プチプチと蟻をころしていたのです。

快晴で雨の予報も出ていない日、私は10〜30匹の蟻を殺したと思います。
急に曇って雨が降ってきました。

大人たちが信じなくても、私の中ではそれは、「蟻を殺したから雨が降った」という事になります。

そうして、私は何度か雨を降らせました。
ミサちゃんが雨を降らせることが出来る、と一緒になって蟻をころして雨をこう子達もいましたが、
「雨が降ったのはミサちゃんのせいだ」と怒って大人に訴える子もいました。
もちろん大人は相手にしてませんでしたが・・・。


雨を降らせた事は、3、4回だったのかなとおもいます。
ただ、その時に
蟻を殺していた、そして、体をちぎられても尚、上半身は上半身のみで、下半身は下半身のみで歩いていく蟻に、同情よりも好奇心をもっていたのです。
どこまで、下半身のみで生きていられるのか、と目を輝かせていた・・・

そんな自分を大人になって何度も何度も思い出し、後悔します。

「動物を自分の欲の為に食べることは、暴力とは思わないのかね?」

というインドの高僧に尋ねられた時に、その言葉でベジタリアンになる決意を固める気になった背景には、

私自身がそれまで、
どんな命のことも
ー 自分の命も、ペットの命も、虫の命も、植物の命も、食べ物の命も、地球の命も ー
何一つとして大切にできなかった後悔と懺悔の気持ちがあった・・・
いえ、今も、その罪を償いたくて、ベジタリアンでいるのだと思います。






そして、その蟻の思い出にまつわる「天気」についても少し。

小学校に入って初めてのプール開きの前日、天気予報は雨でした。
どうしても晴れて欲しかったわたしたちは、私の部屋いっぱいに、てるてる坊主を作りぶら下げました。
もう、黙々とてるてる坊主を数人でつくりつづけたので、凄い数だったと思います。

「諦めなさい。今日は雨だよ」
といわれた当日、プールの時間に合わせるかのように晴れてしまいました。
私は、雨だと諦めさせようとした母親によって、水着ではなく体操服を持たされた為にプールに入れなかった記憶があります(笑)

そこから、22歳まで、私がてるてる坊主を作って、望み通り晴れなかった日はありませんでした。

100%

学校祭が一度雨で延期になり、その予定日も雨という予報に、それまで準備をして楽しみにしていた私たちは、落胆しました。
延期された予定日が雨だった場合、学祭は中止になりませんが、屋外に設置するはずだった屋台もすべて屋内での実施になります。
そしたら、売上が見込めないから、がっかりしていたのです。

「てるてる坊主作って雨が降ったことないから、大丈夫。今まで100%晴れてきたもん!」
と言う私に、
「100%は嘘でしょww」
とバカにしていた男性も、翌日の見事な晴れっぷりに、
「疑ってごめん」と言ってくれました(笑)

ただ、その日私はとても体調が悪く、学校へはいかず、部屋の中から天気いいな~と眺めていました。

今思えば、それが学生生活最後の祭りでした。




私は、てるてる坊主にお願いすれば、必ず晴れることを知っていました。

私は、てるてる坊主にお願いするのではなく、脅していたからです。


てるてる坊主、てる坊主、明日(or 今から)天気にしておくれ。
もしも、雨が降ったなら、お前の首をちょん切るぞ!!!

と、何度も歌って、てるてる坊主を脅して、何度も天気を晴れにしてもらいました。


だから、「晴れ女」と言われてきました。


ただ、晴れにしてくれたてるてる坊主を、そのうちに処分しなくてはいけなくなります。
私のてるてる坊主は、テッシュペーパーで作る簡易的なものでしたから。

雨を降らせなかったのに、てるてる坊主は約束を守ったのに、
私は約束を守れない・・・








それからは、晴れて欲しいと思っても、雨が降ることがありました。

てるてる坊主を作っても、無邪気に(?)てるてる坊主を脅せなくなり、
おなじ歌を歌っても、
「それでも雨が降ったら、それはそれでいいじゃないか」
とてるてる坊主に思うようになりました。



だから、もう100%なんて言って天気をコントロールすることはできないし、しません。

雨を願うときには、蟻のことを。
晴れを願うときには、てるてる坊主にかけた脅迫を。

もし、とても大切な日に、望み通りの天気じゃなくて、残念な想いをしたとしたら、きっと私は思います。

あの日晴れた分の、雨かな。
あの日、雨だった分の、晴かな。と。



あれは、魔術だったと思います。

神の意思ではなく、

真実の力ではなく、


ヨギや修行者が捕われてはいけないと言われている、まやかしの力。


霊的な力を使うことは簡単です。
でも、霊性をそれに伴い高めていかなければ、それは、自身の魂を・・・なんていうか・・・さらに苦しめていく結果になると思います。

イリュージョンは、所詮、この物質世界の法則の中で動いているのです。
魔術、錬金術・・・色々なものがありますが、

インドでは、心を神(中央)に定めた者が当たり前に備えている神通力と、
イリュージョンを大昔から区別しています。

そして、それを教えません。

なぜか。

心の弱い者は、そのイリュージョンの魅力に取り付かれてしまうからです。

イリュージョンは、無から何かを生み出すものではありません。
どこかから「移動」させてくるのです。
過去や未来から。

わかりやすく例えるなら、

イリュージョンで使った分は、どこかで返済しなければいけない、ということでしょうか。



「人が与えたものは、いつかなくなる。
 神が与えたものは、決してなくならない。」



神の親切を無視してまで、自分のエネルギーで一時的に何かをコントロールすることは可能でしょう。

神が、私の頭で考えられる最善を超えたレベルで、私への愛をもって用意してくださる明日の天気を、
私の欲でコントロールすることは、今でも出来るかもしれません。


蟻やてるてる坊主の犠牲を伴わなくても、コントロールできるかもしれません。


でも、しません。


願うことはあります。

でも、起こったことは、それが神の計画であり、魂の成長への最短ルートであり、
幸せへのギフトなのだということを、

感謝できる人間でいたいと思っています。

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