魂の在り方と意識・感覚

仏陀の弟子アーナンダ

クシナガル

悟った後の仏陀の説法の旅に、
付き従い仏陀のお世話をしたのが、アーナンダ。

ブッダは、アーナンダにあれをしなさいこれをしなさい、と命令し、
アーナンダはそれに応えます。

誰々に、私が何々と言っていたと伝えなさい。
どこどこへ、水を取りに行きなさい。

どうして、アーナンダが第一従者に選ばれたのか。
聞いた時から、不思議だった。

なぜ、心が弱く定まりづらいアーナンダを旅の共に選んだのか。

お釈迦さまのお供にふさわしい悟りの段階にいる兄弟子たちが、他にいるではないか?


単純に、不思議に思ったのです。
アーナンダは、幼子のような印象があったので。


仏典第一結集を知っている日本人、あるいは現地ガイドは言います(日本人仕込みの知恵?)

「第一の(一番優れた)弟子アーナンダの言葉をまとめた」と。


その度に、私は何とも言えない違和感を覚えます。

確かに、第一結集では、アーナンダが
「お釈迦さま(ブッダ)は、こうこうこう申されました。」
と言ったものに対して、

他の弟子たちが、
「確かに私も、お釈迦さまよりその教えを聞きました。」

と認めたものだけが取り上げられています。


これは、アーナンダが一番偉いから、このような形式が取られたのではなく、
従者であったアーナンダがお釈迦さまの教えを最も多く聞いていた事と、

また、中村元先生によれば、
アーナンダは仏陀のお供をするにあたって、一つ条件を出したとのことです。


その条件が、
「必ず私の前で説法をしてくださいますように。
私が不在の時に他の者に説法をした場合には、後で必ずそのお話を教えてください。」と。

アーナンダは、お釈迦さまの教えを全て聞いたただ一人の者。


だから、第一結集では、まずアーナンダがお釈迦さまに聞いた話をし、
そして、他にも確かにその話を聞いた人がいる話だけが、残されています。

アーナンダが聞かなかった話しは残らなかったし、
アーナンダしか聞いていない教えは、残されませんでした。

でも、それこそが仏陀の教えだったと私も思います。


第一結集の話を聞くと、誇り高き獅子たちの志に、胸を打たれるような気がします。


話を戻して。


納得できないとか、羨ましいというわけではなく、
ただ、なぜアーナンダを付き人に選んだのか、
その理由は私には、わかるようなものではないだろうなぁ、という気持ちでした。

若くて体力がある、理由はけしてそれだけではないのだろうな。

それは一体何なのだろう?


でも、仏陀最後の旅、
こちらの経典【大パリニッバーナ経】を読んでいて、


あぁ、なるほど、

きっと、そういうことか、と合点がいった。


「ここに、誰々を呼んできなさい。」
とお釈迦さまはアーナンダに命令をします。

そして、呼ばれてきた人は、説法を聞き、気付きを得ます。


アーナンダは、その人が気付くきっかけになる(お釈迦さまの説法を聞くという)大変貴重な機会を作るために、行為しました。

お釈迦さまは、
あそこの水は濁っていて飲めませんというアーナンダに、それでも水を持ってきてくれ、
と命令し、
アーナンダが水を汲もうとした瞬間に、きよき水に変わるのを目の当たりにさせ、
アーナンダの心の曇りを取り除きます。

共に旅をし、自分(覚者)の身の回りの世話をさせることで、
ブッダはアーナンダに途方もない量の【 Good Karma 】を作らせたのではないか。

それこそが、仏陀がアーナンダを選んだ理由だったのではないか。


そう、思いました。


非常に深い愛情で、ちょっと頼りないアーナンダを導いていたのだと思います。



第一結集の地にて

ラージギル 第一結集の地にて

Yoga Mukthi