魂の在り方と意識・感覚

いつかは飛べるはず

この1ヶ月、「わたし」に付随しているあらゆる感情と記憶を、味わっている。

何もしない・・・ということが、とても難しい。

何もしない自分を許すということが。

ただ休む、ということができない。
休みながら責めて、自分のことを見下して、休んでいる時間を悔やむ。

それでも尚、時間が許す限り、引きこもってみた。

引きこもっていると浮かんでくる、様々な感情、それに付随する記憶。

最初は、なんとなく居心地が悪いだけだった。
それでもその感情の中に浸り続けて、味わい続けていると、
突如、わぁーーーーっと湧いてくる。

一つ、記憶と感情を味わい尽くすと、強制的に眠くなる。
体が欲するままに眠った。

そして、起きて、また思い出して、眠った。

そんなことばかりを、時間の許す限り続けてみた。

今の私にある恐れ。

「今の私なら、飛べるかもしれない」ということに対する、拒絶。

昔の日記を読んでいて、必死に「ありがたいこと」を探して感謝して、「絶対、だいじょうぶ」って言い聞かせて、
頑張っていた頃の日記を読んでいて・・・

ずっと、「いつかは、私も飛べるはず」って、空に向かって手を伸ばしていたことを思い出す。

いつか。

いつの日か。

「・・・今はまだ、飛べないけど。」

そうやって、ずっと先送りしてきたのだ。

いつ、飛べるの?

飛べないと思って、飛ぶことに憧れる方が楽だ。
エゴも納得する。

羽に傷なんて、なかった。

籠の扉は、すでに開いていた。

足に枷は、ついていなかった。

夢見た「いつか」は、とっくに訪れてた。

今、飛べるはず。

それを、受け入れよう。