魂の在り方と意識・感覚

エンパスにも度合いがある/強いエンパスの場合

エンパスとHSP

エンパスという言葉を知っていますか?
最近HSPHighly Sensitive Person)という言葉は周知されていきているし、
HSPとエンパスをほぼ同意として語られることがあるけれど、

私はいちエンパスとして、HSPとエンパスは全く別物だと感じています。

エンパスはHSPでもあるけれど、
HSPは必ずしもエンパスではない。

そもそもが違うからです。
エンパスとHSPについて説明した動画 「わかりやすかった!」と良い感想をいただくのに視聴が伸びません(涙)
ていうかそもそも、撮り直すと言って一年、撮り直してないですねw

エンパスは、共感力が並外れて高い人たちのこと。
HSPは、敏感な人たちのこと。

似ているけれど、ちょっと違うのです。

エンパスではない敏感な人がその敏感さを隠すのは難しいかもしれません。
でも、エンパスは周囲に合わせられます。
合わせられるというか、同調してしまうのです。
だから、時にエンパス体質の人は、敏感ではないような振る舞いをごく自然に行うし身につけています。

もちろん、本来の自分自身とかけ離れていたり害になるような状態であればストレスにさらされるし、
エンパスという特異体質に苦しんでいる人が多いのも事実だけど、

エンパスは自分でも気付かないうちにカメレオンみたいに自然に周囲に溶け込んで馴染んでいることもあるので、
エンパスではない人たちから見て、誰かがエンパスかどうかを見極めるのは非常に難しいということだけは伝えておきたい。

幸せな人たちに囲まれていれば、エンパスは幸せで、違和感に苦しむこともないでしょう。
まぁ、ストレス過多な社会の中では苦しむことの方が圧倒的に多いでしょうけれど。

エンパス関連の説明は多々あるけれど、
エンパス本人から語られているもの、本当にエンパスについて理解されていると感じられる情報がほとんどないので、
私と同じように感じている誰かのために、
私の感覚をシェアしたいと思います。

全国のエンパスさん、そしてエンパスの周囲の方達に届きますように。

ドラマ「相棒」でのエンパス描写

何年か前、人気ドラマ「相棒」でもエンパスが取り上げられたのをご存知ですか?

 →  動画を見つけたらここに貼ります。

キーパーソンとなるのがエンパス体質の人なのですが、
最後の方で右京さんに「あなたはエンパスですね?」と指摘された女性が、
この高い共感力のせいで、これまでどれほど苦しんできたかを回想シーンと共に訴えます。

その回想シーンでは、
バス停で並んでいる間、
前で営業スマイルでニコニコ電話している男性の心の怒りの声が聞こえてきて怯え、
後ろで静かに立っているおばあさんからは「死にたい死にたい」という心の声が・・・。

周囲の人の雑多な心の声(ほとんどが不幸せな嘆き)が何重にも重なり反響してくる。
列から逃げ出し街を歩くも、
行き交う人々の
「うざい」「ちゃんと歩けよ」「邪魔なんだよ」「ムカつくー」などという人々のどす黒い声が鳴り響き、
耳を塞いでも聞こえる声に精神が参ってしまう、という描写。

私はこのシーンを見た時、涙が頬をつたりました。

映像で伝える以上、「声」で表現せざるをえなかったと思いますが、
「言葉」としてあの映像のように伝わってくる訳ではないけれど、
私自身、エンパス能力が制御できていない時や、街中、職場では本当にあんな感じの体験を何度もしているからです。(詳しくは下記に)

エンパスが描写されたことに嬉しくなって、ネットでエンパスさんたちがこれに共感してないかしら?
と探したところ、なんとエンパスと名乗る人たちからの批判が多かった。

「エンパスでもこんな風に他人の声なんて聞こえない」
「ここまで他人に影響されないし、他人の心までコントロールできる訳がない」
「まるで精神異常者みたいで誤解される」などなど。

ほうほう、世の中のエンパスさんのほとんどはここまで共感力が強い訳ではないのか、とちょっと悲しくなりました。
・・・どうせ私は精神異常者ですよ。相棒の話、リアルで怖かったもん。
あそこまで追い詰められたら、
他人の心を読んでうまく殺人(とまではいかなくても)へと誘導することもあり得なくはないだろうとすら思っちゃったんだよね。

わかってますよ、それが世間一般の「普通」の人達にどれほど怖がられるか。
誰よりも、私自身が怖かった。

だからこそ、徹底して「良心」を持たなければいけないのだと、小学生ながらに自分を諫めていましたよ。

(笑い話として聞いて。とある宗教が世間を騒がせマインドコントロールの恐ろしさが取り沙汰されていた小学生の頃、「マインドコントロールなんて難しくないでしょ?他人の意識を誘導して操るなんて赤子の手を捻るより簡単じゃん。や ら な い け ど 。」と、むしろ世間がそれについて仰々しく討論することに驚いた。
できるけどやらない、エンパスと、
できないからやれない人達。本当に怖いのはどっち?と私なんかは思います。


だからこそ、気づかれないように振る舞わなければいけなかった。
だからこそ、必死に感度を落として心を固くせざるを得ない時期があった。



・・・そっか。あまり強くないエンパスさん達には、あまり起こらない現象なんだ。
確かに、強いエンパスの人の話って聞いた事ないもんなぁ、と気づき、

ならば、私と同じくらいエンパス能力の強い人たちが安心できるように、
私が私の経験をシェアしよう、と思い至りました。


さて、相棒で描かれたシーンについて説明する前に、
一度皆さん、自分自身の感情を毎瞬間、自分でどう感じているかを振り返ってみてほしい。
感情とか感覚、意思でさえも、自分の内側では言葉になっていないですよね?

誰かにその「感覚」を伝えようと思う時に、その手段の1つとして「言葉」を選びますよね?

エンパスが感じる他者の感情は、伝えられたものではなく、その人の中にある感情がそのまま伝わってくるだけなので、
皆さんが自分自身でもはっきりと自覚する前の、本当に表しづらいようなぼんやりとした感情なのです。

でも、言葉にせずとも怒りに震える時と絶望する時では感覚に違いはあるし、
言葉になっていなくても強い感情だって生じていますよね?

私が他者から感じる「心の声」は、声ではありません。
自分の感覚や感情を自分で感じるときと同じように、突然、他人の「感情」「感覚」が自分の中に生じるのです。

だから、それが「他人」のものだとわかることもあれば、
「自分」のものなのか「他人」のものなのかわからない事もあります。

おそらく、「自他の区別がつかない」事の方が多いんじゃないかな??

自分の感覚や感情を四六時中自覚していますか?
していませんよね?

エンパスだってそうです。
仮に他者の感覚に同調していても、意識にのぼる事なんてほとんどなくただ過ぎていきます。

私にとってはそれがあまりにも「当たり前のこと」なので、
ほとんど無意識に同調し、影響され、仮に少し強い感情が流れてきても、無意識に聞き流しています。

生まれた時からずっと「ぴちょん、ぴちょん」って水が滴る音が絶え間なくし続けていたらさ、
いちいちその音に意識を向けると思う?
多分、水音が止まった時とか、急に音が大きくなった時にだけ、
つまり「何かしらの変化」がある時にだけ、はっと気づき、意識を向けるんじゃない?

私にとって、他者の感情が「鳴っている」のはそれと同じくらい、
気にも留めない事、です。

空調の音がなっていても、四六時中気にしていないですよね?
鳥は街中でもしょっちゅう鳴いているけど、あなたは今日どれだけ鳥の声に耳を傾けましたか?

そういう事です。


第六感、と呼ばれる感覚器があるのかもしれませんが、それは摩訶不思議なものではなく、
単純に我々人類の「理解」が追いついていないだけかと思います。

人、霊長類にはミラーニューロンと呼ばれる機能があり、
他者のAサンが嬉しくて顔をほころばせるところを見たBサンの脳内では、Aサンに起こっている反応と同じ反応が起こります。
Bサンの脳内では、Aサンの体験をまるで自分がしたかのように「体験されて」いるのです。

ミラーニューロン: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。
                                    ー Wikipedia より

そもそも皆に「共感する」能力は備わっている。
その共感力の強さが、どのくらい異なるか、というだけの違い。

私が考える共感力の仕組み

ヨガを(世間とは違う次元で)教えていると、強いエンパスに悩まされてきた人たちが集まってきます。

「エンパスの中でも際立って共感力の高い」何人かの実在のケースを振り返ると、一般的なエンパス要素プラスアルファで共通する特徴があります。
それが、

  • 正直である。嘘がつけない。
  • 意識(存在)の雑音が少ない。
  • 責任感が強い。
  • 芯がある。

です。
あまりの共感力の高さゆえに、苦しみ、一見弱っていたりボロボロになっていても、
必ず芯があり、表に出さないけれど心の奥深くで確信しきっているような、
人生と他者に対する責任感が伝わってくるんです。

これはケースが少ないので、私が出会った人たちにたまたま共通しただけかもしれませんが、
私は、霊性修行をして魂の浄化を進めてきた、その魂の経験値に裏打ちされた人の特徴なのではないかと思っています。

多くの人は、鎧をつけて「感じないように」しているのです。
水音はずっと鳴っているけど、鳴り止まないから「聞こえないように」しているのです。

どうやって?

意識、心という自身の部屋の中で、TVをかけっぱなしにするのです。
そしたら水音はかき消されますから。

この、TVの音が、上でいう「意識、存在の雑音」です。

鳴っていて当たり前。
繰り返し過去の記憶が再生されて、過去の後悔や栄光、未来への願望や不安が再生されて、常に映画が上映され続けています。

瞑想、ヨガ、霊性修行と呼ばれるものは、この雑音を少しずつ減らしていきます。

雑音を減らしていけばいくほど、より小さな振動(=音)が聞こえて当たり前なんです。

だから、ヨガを続ければ、霊性修行を続ければ、敏感になっていきます。
より繊細になっていきます。

でも、正しく意識が使えていれば、静かな環境でずっとエアコンがなっていても、
意識、心がそれに乱される事も少ないのです。

振動(感情エネルギー)は見えなくても伝わる

先ほど、ミラーニューロンの話をしましたが、
エンパスは視界に入っていなくても、「感じます」。

背後からエネルギーが私を突き刺した、強烈な体験を書こうと思ったのですが、
書いてて思い出してすごーーーく嫌な気分になったのでやめておきますね。
”その人”について思い出してその人の怒りのエネルギーに同調するのが疲れる。
読む人も気分悪いだろうし。でも途中まで書いたので別記事でこっそりUPします。


私たちの細胞1つ1つが、常に振動していますよね。
細胞の中の物質1つ1つも。
脳波、と呼ばれるように、脳の神経細胞も振動して波を生じさせています。

ドラマで描かれた「心の声」に私が大して違和感を覚えなかったのも、
「音」として聞こえるものも「音」として聞こえないものも、
結局全て同じ「波動」である、と認識しているからかもしれません。

高周波が聞こえても聞こえなくても、体はその「音=波動」の影響を受けます。
遠赤外線が体に入っていく様子が見えなくても、体は温まりますよね?

そもそもエンパスが他者の感覚に対して「多くの普通」の人以上に共感してしまうのは、
波動そのものを感じているから、だと私は感じています。


私には他者が胸に抱えている具体的な出来事は伝わってきません。
でも、その「波動」が伝わってきて、それを私の感覚で表現する時(注:それが求められる場合に限ります)
具体的な出来事そのものよりも重要な、「その人がその出来事に対して感じていること」を掴むことができるので、
「心を共有したい」「心を誰かに理解してほしい」
と感じている人には、すごく感謝されたりしますし、私自身くつろいで話を聞くことができます。

一方で、自分が何を感じているかなどどうても良いから
「出来事を変えたい。その解決策を知りたい」と思う人とは、話をしていて非常に疲れます。
だって、悩みを聴きながら、心の感覚とは裏腹に、「言葉」に集中して「言葉」と「出来事」だけに基づいて返事をしなきゃいけないから、
そして、それは私の中で無意識に行われるので、疲れるんですね。

だから私は、ひとと話すことが大好きなくせに、1人でいる時間がたっぷりないと生きていけないし、
冒険が大好きなのに、基本引きこもりなのです。

そして、自然の中にいるのが一番心地よい。
植物も、土地も、それぞれの周波数を発していて、エンパスはそれらにも同調します。

そう、「同調」なんですよ。

音叉を水の近くで鳴らすと、水面が波打つみたいな。

だから、波動の悪い部屋には住めないし、
腹黒い人たちと過ごしていると精神的におかしくなるし、

逆に幸せな人のそばにいると幸せで心が満たされるし、
癒されている人のそばにいるとそれだけで癒されていくのです。

エンパスほど「自分で環境さえ選べば」変われると思う。

そして、少し余裕が出てきたら、ぜひ精神的に、そして「人間として」していくことを選択してください。

ドラマのように人を殺人に導くような事もできてしまうと思うのです。
でも、狡さとか弱さに屈する時点で、そこまでの強い「エンパス」にはなれないんじゃないかと思うんですよね。
よっぽど精神を壊さない限り。

エンパスは、強いから鎧を持たずに存在できるんです。
エンパスは、成熟しているからこそ、心の中でTVを消すことができるんです。

ヨガのマスターと呼ばれる聖者たちは、
誰かの話に心を痛め、涙を流します。

自分の事のように悲しみます。

そして、たとえ誰かが「話さなくても」、誰かの心の内を感じます。

遠くにいてもわかる時がある。場所は、関係ありません。

マスターたちは言います。
「私は全てと繋がっている」と。

人をエンパスかエンパスじゃないかで分ける必要もなくて、
多分、みんなエンパスなのだと、私は思っています。







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