こんにちは。
インドに渡航できる日まで、日本でニート生活を満喫しているはずだったのですが、なぜか急に忙しくなり「モテ期かしら?」と思っている今日この頃です。
日本にいる間は家から出たくないという思いを最優先にしていたら、家から出ていないのに忙しくなった。引きこもりには完璧なお仕事。笑
冗談はさておき。
男のすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。とかのたまったのは紀貫之だったかと思いますが(よく覚えていない)、
私にとって日記というものは多分、人生の中心部分に存在するんですよね。
子供の頃なんてみんな、読む本のほとんどが児童文学と呼ばれるものだったと思うけど。
私は本好きの子供だったけれど、何となくフィクションの物語には退屈していた記憶はあるんですよね。
図書館の本を読んでもいまいち面白いものがないなぁと思いながら、
何か心を動かされるものを求めて満たされないまま次々と読んでいた。
そんな私が明確に「これだ!!」って思わされたのが、
「徒然草」 by 吉田兼好(兼好法師)
(笑)
徒然なるままに日暮らし、硯に向かいて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、
あやしふこそものぐるほしけれ。
もうこの冒頭文でまず心を撃ち抜かれ、
「は? 何この羨ましい設定!
私も一日中ペンを持って紙に向かって心に移りゆくあれこれをそこはかとなく書き尽くして、
気を狂わせたい!!」
と思ったのが最初。
中身を読めば、坊主らしく高尚な事を語っているようでいてそうでもなかったりして、
ただただ心に移りゆくよしなし事をああでもないこうでもない、と書いているだけなのに、
妙に説得感があり、
現代にまで読み継がれている。
・・・これほどの文章があるだろうか?
いや、あるにはあるだろうけれど、私にとっては唯一無二だったのですよね。
日記をつけ始めたのは小学校一年生の時。
たまたまサンリオのお店で日記帳を手に入れたからというきっかけ。笑
幼い頃はその時あった出来事を書いていただけだったけれど、
それでも今読み返すと可愛い。
怪我に至るまでの経緯が事細かに書かれていたり、
誰にどんな意地悪なことを言われて、誰と一緒になって言い返したとか、
朝から調子が悪かったのに気づかず遊びに行って大事になったことを後悔する様子とか、
とりあえず内容がくだらない内容が真剣に書かれていて全部可愛いのだけど、
成長するにつれて、内面が記されていくんですよね。
で、そういう内面にフォーカスする年頃になって出会った徒然草だったからこそ、
私が読みたかったのも、書きたかったのもこういうものだ!!と羨ましくなった。
ついでいうと出家しているという事も法師と呼ばれていることもにくいと思うほど羨ましかった。
(これは前世に関係ありそう)
だからね、ブログというのはこの「徒然なるままに、心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書き尽くる」事のできる最高な環境設定だと思うのですよね。
そして、他人の書きつくったものまで読むことができる、と。
徒然草に心を奪われ、謎の対抗心をもやしながら過ごした10代の頃を思うと、
ブログ環境の整った現在は夢のようとも言える。
だからこそ、最近「ブログ」と言えば「個人が超個人的な出来事や思いをだらだらと綴る」ものではなくて、
「情報価値を提供するインターネット上の場」
みたいに捉えられてしまってきた事に対して違和感を覚えるのです。
そういうものがあってもいい。
私も何かについて知りたい時に多くの人が提供している、プロ・アマ問わずのさまざまな情報を活用させていただいているし。
でも、個人がひたすらだらだらと綴る日記が公開されていることにこそ、
私は個人ブログの価値を感じているのです。
そこにある個人的な体験や感想に、多くの人が惹きつけられなかったとしても、
何か共鳴する少数の人の琴線には触れるかもしれない。
その、誰かの琴線が触れた時、読み手はもちろん、書き手もね、それを感じるような気がするんですよね。
それはもはや書いた時からかも。
その読み手が現れるのがいつの事かはわからない。
でも、書き手には、いつか誰かの心の弦が弾かれて鳴る音が、書いている時から聞こえるんじゃないかと思うことがある。
読み手が現れその音をさらに伝えてくれたら嬉しいに決まっているけれど、
書いた時点で、その感動はもう書き手の中にある。そんな気がする。
吉田兼好が書いた一文が、現在を生きる私たちの多くの心さえ揺れ動かしている事は、
彼があれを書いた時点でわかっていたというか、
長く読み継がれる事はわかっていなくても、きっと現代に至るまでの多くの人の中に生じた感動は、
ちゃんと書き手も感じていたと思うのです。
心が共有された時のあの感動。
同時にポッと心に灯るもの。
そういうものが、
時空を超えて、同時に生じている気がする。
そして、今、素敵な本を訳させていただいていて、
他にも問い合わせをもらって別の方のも読んでみて、
改めて「本が書ける人ってすごいなぁ」と思うのです。
短くても、1冊にまとめるのは大変だろうな、と。
ブログの1記事すら最後まで綺麗にまとめられず、
思いつくままに書き散らして、散らかりきったまま終わらせている私からすると本当に尊敬せずにはいられない。
そして、「いつか私も!」と思わずにはいられない。
死ぬまでには、私もいつか本をまとめたい。
どんな本を書きたいとか、そういうものはないけれど、
いつか書きたいテーマができ、文章をまとめたいと思った時に参考になるように、
今日も今日とて、心のうちをあぁでもないこうでもないと書き散らしますよ。
今の私にしか感じられない感性がある。
未熟だったからこそ書けた文章がある。
知らなかったからこそ、綴ることのできた言葉がある。
ブログは残念ながら多くを消してしまったし、
日記も多すぎて処分したものも結構あるけれど、
それでも、残っている文章やその時に苦しみながら頑張っていた姿に自分自身が救われることもあるんだよね。
だから、私は私の為に私の言葉をつむぎ、
心に浮かんでいる言語化できない思いを言語化していく作業をしていこうと思っています。
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