魂の在り方と意識・感覚

般若心経 真実は「ある」


『般若心経』 2013年1月 (100分 de 名著)

インドでヨガを始めるまで、仏教の教えなんて全然知らなくて、
仏教が何かも知らなかったけれど、
ただ一つだけ聞いたことがあった。

般若心経。

小さい頃、大好きだったから、大きくなってから簡単な説明を読んだことがあっただけ。

観音様が、悟ったことには、
この世界は全て「空」なのですよ。

って言ってるんだなって事だけ頭の片隅に覚えてた。
私にとってそれが仏教のイメージで、それがブッダの教えなのだと思ってた。

でも、インドで少しずつ少しずつインドの精神文化の歴史に触れていく中で、
「あれ?私のイメージしてた仏教とヒンドゥー教の中に息づいている仏陀の教え(仏教)に、ズレがある」
って違和感が大きくなっていった。

そもそも、なんで般若心経は仏教の経典なのにサンスクリット語で書かれているのか?

最初の謎だった。

ある日のアシュラムでの会話が蘇る。

ダヤナンダアシュラムにて

ヨガ(ヴェーダンタ哲学 *1)を学んでいると、この世にはたった一つ真実ブラフマンという真実が「ある」という。

仮面の仏教徒と言われたアディ・シャンカラチャリアの教えを受け継ぐヴェーダンタ哲学不二一元論学派の教えが、
「ブラフマンがある」
と言う。

「仏教の教えととても似通っているのに、根本は違うんだね?」
ってある人に聞いたら、
「ブッダは、 ある って言ったんだ。全てが空だとは言っていない。それはブッダの教えじゃないよ。」
って言われて、ますますわからなくなった。
その頃はまだ、原始仏教を知らなかったから。

いつもここに登場するインド友達のMちゃんが、
「中学生の頃から、この世界は全部「空」=無い、って感じてて、目に見えてるものも、今感じているものも、全部「ないんだ」って思ったら、
なんで生きてるのか・・・
いい事が起こっても悪いことが起こっても、別にどっちでもいい。
全部、「無い」んだから。ってずっとずっと虚しかったんだけど、
ここへ来てサンスクリット(の経典、ヴェーダンタ哲学)習い始めたら、
ブラフマンがあるって言ってくれた。
・・・それに、救われた気がする。」
って言った時の事を思い出す。

寒さが少しやわらいできた時期の昼過ぎ、暖かい太陽に照らされながら、チャイを持ってたMちゃんのその言葉に、心の奥からこみ上げる暖かいものがあった。

そんな事を、この本を読みながら思い出した。

色々懐かしいなぁ。
いっぱい勉強してきたなぁ(笑)

明日はカタックダンスの般若心経クラスの最終日なので、
般若心経をもう少し理解していこうと思い、佐々木閑教授の100分de名著 を読んでいます。

日本で一番人気のあるお経。
これは、仏陀の死後500年ほど経って新しく興った宗派である大乗仏教の経典。
仏陀は「五蘊はある」と言ったが、
般若心経は「五蘊はすべて錯覚で実態のないものだ」といった。

と最初に出てきた。

あぁ、そうか。
日本で宗教に無関心な家・宗教のない公立の学校のみで生まれ育った私にとって、
もしかしたら法事の時に聞く般若心経だけが無意識に価値観のベースになっていたのかもしれない。

私は般若心経=仏陀の教えだと思ってきたから、
仏教=「この世界は空である」って事を、Mちゃんと同じようにどこかで「当たり前の価値観」として持っていたのかもしれない。

私も、全てが空だと言うよりは、
「ブラフマンという真実が、遍在する」
ある、という事に救われる気がする。

般若心経で説いてるのはきっとそういう事じゃないと思うけれど、
表面だけ聞いてなんとなく思い込んで育ってきたからね。
「全部、認識の錯覚なのかな?認識が錯覚だったら錯覚だと思ってるものも錯覚?どういうこと?」って、私も小さい頃悩んでいたから。

ある、が前提で進んでいく方が私には入りやすい。

ただ、違うのは入り口だけだと思うけどね。

この切り口で入りながら、般若心経の教えと価値と仏教の成り立ちをコンパクトにまとめてあるこの本、すごくオススメです(^ ^)

NHK凄いね。名著のシリーズにダンマパダや般若心経が入るところが、民放とは違ってて好き。





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