承認欲求って誰にでもあるけれど、
それを求める意識レベルと全く違うレベル(次元)での意識も同時にあるので、
他人が自分のことを承認するかどうかって、不安やおそれの解消にはなんら関係ない、と思います。
以前は、自分のやってること認めて欲しかったし、認めてもらえなければそれは怒りに変わった。
でも今は、他人が私のことを高く評価していても全然評価していなくても、
私の「核」の部分は、影響を受けていないということに気づいています。
さみしくもないし、嬉しくもない。
安心だけがあります。
ただ、私の意識はまだまだその次元に留まっている割合が小さくて、
以前と同じレベルにもたくさん残っているので、もちろん嬉しいことばをもらってホッとしたり、またそのやり取りの中で生まれる交流を楽しんだりはするけれど、
「自分に言って欲しいことを言ってくれた」という事象に心が満たされる事って、ほとんどないです。
太陽は、自分で輝いています。
瞑想者は太陽になる、と先生が言っていました。
月は光、そして光との間に立って陰を作るものの影響を受けます。
太陽は、発する側なので、その影響を受けません。
ってことかな。
一方で、私の心に陰を作ってくれる太陽と地球の「お陰様」でここに影が出来て私が存在していますよ。
っていう意味のお陰様というのも真実だと思う。
柔軟に柔軟に。
感じる心が柔らかい人ほど、決めつけない人ほど豊かに花開いています。
焦らず慌てず、気楽に。
私になろうとしても無駄ですよ。
私は私でしかない。あなたは、私には一生なれません。
私は、あなたには一生なれません。
自分の心を否定する限り、真実は断片的にも見えてこないと思います。
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