魂の在り方と意識・感覚

本当の私だと思っていた根本が崩れ去る

オーロビルの外に借りたカシューナッツ農場にある部屋

オーロビル/ポンディチェリに行く

先の記事に書いた人は、見た目はごく普通で、
仰々しいことも話さないし、シッディ(超能力)も見せびらかさない。
ただ、真実と共に生きているから。

それを求める人は、
ただの日常の1ページ、他の人たちとの出会いと何も変わらない平凡な一コマの中で、
魂を震わせて泣き崩れ、

そうではない多くの人たちは、
口では真実を求めているとか
自分は覚醒しかけているなんて事をのたまいながら、
目の前で微笑んでいる神性を、平気で素通りするのだ。




私は、ずっと昔に見た夢の話をした。
その人は、それは私だと言った。

そして、その人は私の事を既に知っていた。
私がインドで働いていて、その会社をやめて、
何を学びどのような活動をしようと考えているのかも知っていた。
この「知っていた」というのは、見えない不思議な力によって知っていたわけではなく、
単純に、周囲の人から私の話を聞いていてずっと前から、
本当に「ミサという日本人の話を聞いていた」と言うだけなのだけど、

彼は私の言うこと、やる事に興味があり、
会える日をずっと楽しみにしていたそうだ。

私は・・・、

ヨガとビジネス、
真実への渇望・神への愛と突き動かされるような使命への道が
相反するように見えて悩みながらも、
そのどちらも同じ1つの真実に基づいた道であり、
どちらも神の恩寵によって突き動かされており、
現実世界を、コミュニティを、地域社会を変えようとすることが、
私にとってヨガの道であり神の道であるという事に確信がある。
どちらも相反していないのに、修行の世界での限定的な教えが私の行く道を阻むのだ。
だから私は、修行の世界からは離れるが、
私自身は決して神の道からは離れない。

と、そんなような葛藤をね、定期的にアシュラムの先生達に話していたんですよ。
何年も何年も。

仕事で、日常生活でバランスを崩すたびにこのアシュラムへ逃げ込んで、
そういう葛藤を聞いてもらっていたから、

だから、「その人」も私の事を聞いて知っていたんですね。

そして、その人は、言った。

彼がずっと思い描いているビジョン、
霊的指導者達が力を合わせて取り組まなければならない事、
リシケシ中の、インド中の聖者達が、霊的指導者達が、スワミ達が、
世俗へ向けて働きかけなきゃいけないと思っている事、

それこそが、あなたがやろうとしてる事だ。


だから、あなたが覚悟を決めてやるのであれば、
リシケシ中の、インド中の指導者達がそれをサポートする。

だから心配は要らない。
私も手伝う。

だから、やりなさい。


と言った。




その人は私に「オーロビルに行ってみるといい。勉強になる」と言った。

ほんの数時間前に、家を処分して、年が明けたらオーロビルに行こうと決めたばかりだった。
瞑想中に泣いて泣いて、魂が震えて、

今やってる仕事を片付けて、家も処分して、シェアハウスの契約も破棄して・・・
早くて1ヶ月後か・・・。
1ヶ月後にオーロビルへ行こう。
2020年の6月以降だとなんとなく計画していたけれど、今オーロビルに行かなきゃ!!


と思って、オーナーに電話し、仕事の調整をして、借りようとしていたシェアハウスの契約も止めたいと言う連絡をしたばかりで、
それらに対する文句(そんな急にやめられたら困る、約束が違う、とかそう言う事)を受け取っている最中で、調整がつくかどうか、わからない状況だった。

でも、もう私の中では1月に行くと決めていたので、
「1月に行こうと、さっき決めたところなんです」
と言うと、

そのかたも、
「私も一月はずっとオーロビンドアシュラムに滞在するんだ」
と言う。


現実的にはまだ動ける状態じゃなかった。
でも、1月には私は全て片付けてオーロビルにいるのだと確信した。

その後年末年始にもう一度アシュラムへ戻り、
深いうつ状態に陥りながらも、



年明けにオーロビルへ移動した。
オーロビルの農場に滞在しボランティア生活を送りながら、
休みの日にポンディチェリーにあるオーロビンドアシュラムへ行った。


その時は、霊性の観点から物事を見れる人が一緒ではなく、
むしろ「わーエネルギーが〜〜」なんて言うけれど、
単純な雰囲気とか書いてあることや誰かが言う事、
つまり、マインドで判断できるレベルのことでしかジャッジしない人と一緒だったので、

「今度一人で来よう」

と思い、その日は瞑想せずに早々に立ち去る事にした。

私という根本が価値を失った日

一方で私は、キーパーソンとなる人に出会っていて、
ルームシェアを始めていた。


私は人を、見た目や肉体的な造形ではなく、
魂・エネルギーで見ているらしく、
良く人と「誰か」について話している時、周囲の人達と全く違う事を言ってしまうことが良くある。

その人は、とても「静か」だった。
魂の周りに、雑音がしなかった。

まるで私のように。笑

その存在は驚きだった。
なぜなら、私は自ら「師」だと思ったほんの数人以外に、
自分と同じくらいに魂の周りに「雑音」がしない人を見たことがないから。

魂がピュアな人とも違う。

この人は、私と同じように、「浄化」をしてきたのだ。
自らまとわりつけてきた様々な雑音という、カルマや価値観や、色々な物を
時間をかけて浄化してきたのだろうというのがわかった。


出会った瞬間から、

私たちはスピリチュアルな事、
魂の事、
ヨガの事、
霊性の道を求めながらエゴを満たす事に必死な人たちのこと、

どの系統、どの団体に属すか、そこに属すことでエゴを満たす事よりも
ただ一人、「私」として、
私ではない「私」として、
自分と静かに向き合い、
その内側から発せられる静寂のエネルギーが周囲を自然と変えていくのだ

と言うことなどを語り合った。


オーロビルで出会う人たちは、彼以外にも、1人1人との出会いが濃く、
一言二言で分かり合え、
1日1日の体験が濃厚だった。

日毎意識が変わっていき、

ある日、私の意識は完全に崩壊した。


朝早く、まだ陽も登らない薄暗いファームの中で、
私は一人静かに泣いていた。


誰にも邪魔されたくなかったけれど、
ルームメイトには不思議と嫌悪感を覚えなかった。


明け方近く、まだ薄暗い中で入れてもらったハーブティーは心地良かった。


どうしたの?

と聞かれても、
何が起こっているのかはわからなかった。

出来事はあった。

1つの関係が、終わったのだ。


でも私が泣いていたのはその事ではなかった。



もっと深く、

もっと大切なものが、ガラガラと崩れていくのがわかった。





静寂のエネルギーを纏った友は、

少し距離感を保ちながらも、

ゆったりとただ、近くに座って明け方の湿っぽい土の匂いを楽しんでいた。




私はやっとの思いで、一言だけその時の自分の状況を表現することができた。




My fundamental quality, fundamental perception,
it might be my fundamental identity…

it has collapsed.


私の、根本的なものが、価値観の根底にあるものが、
それは多分、私という存在のアイデンティティだったのだけれど、

それが、完全に崩れた。

そう伝えて、友人から見えないところで静かにまだ涙を流していた。



私は、自分の事が大好きだった。
表面的にはたくさんの欠点があるけれど、
核にある強い思い、
「本当の私」と思っている部分がとても美しいと、自分で思っていたのだ。

この本当の私が抱く夢、思い、情熱、使命。
この本当の私が発する、人の魂に響く言葉たち。

ユーモアに溢れて、
勇気があり、
楽しさでいっぱいの、「本当の自分」が好きだったのに、

ずっと「これが本当の、真実の私」だと思っていたものが崩れた。


神と繋がっていると信じていた根本が、

それすらも幻想であり、
それすらもエゴの想像であったと気付かされた。


もう、私の中には何も残っていなかった。

空っぽだった。

その事が、訳がわからないほど怖いのだと言うと、


その友人は私の目を見ていった。




「君の瞳に宿る光は、まるでラマナ・マハリシのようだね」と。



その時の私には、
そんな素晴らしい褒め言葉さえ聞こえなかった。


ただ、ただ、何もない、と。

私と言う存在の全てが崩れていく体験の中から、


どうやって日常に戻っていったのか。
もう覚えていない。


その日も普通にボランティアの仕事に「出勤」し、
普通に働いたんだと思う。



そうだ!!
その日の夕方、私はその友人と一緒に、
ポンディチェリのオーロビンドアシュラムに行ったんだった!!




続きます。