魂の在り方と意識・感覚

The time has come

時が来た。何年も避けていて、同時に待っていた事を再開する時 1

年末の日蝕と沐浴

2019年12月26日、私はリシケシのアシュラムにいた。
住み慣れたグルガオン(デリーNCR)の家を手放し、家具家電もすべて売り払い、
しばらくの間、アシュラムを仮の家にしようと思っていた。

どこにいても欠かさず瞑想も自己探求も続けているから、
アシュラムにいる事で「更に自己の霊性を深めよう」みたいな意気込みがあった訳ではない。

ただ単純に、リシケシでのオーガニックカフェを中心とした地域の循環を促すようなコミュニティ作りの実現を模索するために、
リシケシに予定よりも早く来ただけ。
そして、どうせなら静寂でエネルギーのしっかりと護られた空間にいたかっただけ。

図らずも、冬至の日にリシケシに移り、新しい人生の幕開けに心踊っていたのも数日だけのこと。

年末年始は、とてつもなく深い抑鬱状態へと落ちていくことになった。


12月26日、日食の日。
日食や月食という蝕の間(グラハム)は、
外に出ず部屋の中で神を思いマントラを唱えたり、ヴェーダを読んだり、瞑想をして過ごすこと、
というのが、ヴェーダの教え。

瞑想ホールで、いつもよりも長くヴェーダの講義を聞いた後、
皆でガンジス川へ沐浴しにいった。


寒い寒い冬のガンジス川。
ヒマラヤからの雪解け水が溶けて流れてくる。

入ってしまえば意外とそこまで冷たくはないのだけど、
外に出たら寒くて凍えてしまいそう。

「浄化の為にガンジス川の水を飲むといいよ。
 内側もしっかり浄化しなさい。
 ただし、君たちは外国人で免疫がないから、(お腹が)心配な人はやめておきなさい」
とのスワミジの言葉に、
私は率先して飲んだ。

だって、今までにも何度だって飲んでるし。
リシケシの水だったら全然平気。


私はいつも川へ着替えを持っていかないので、
タオルで水分を拭きとり、大判ショールで覆って部屋までダッシュで帰るのですが、

・・・その日はしっかり風邪をひきました。


その夜から熱っぽく、鼻水が出はじめた。
水に当たったのではなく、多分寒かったからかな?

そんな熱と疲労感、体の痛みにうなされて、
頭が冴えてしまって眠れなかった時に書いたのが、この2020年の予想

時がきた

この時、そしてその後もしばらくの間、

The time has come.
The time has come.

と私の奥から聞こえ続けた。


数年ぶりに目の前に、本物の覚者が表れて、その人の話が聞ける事の喜びに溢れていたのだけど、
そのかたもなんども何度も
「The time has come」
と言っていたし、
アシュラムの瞑想の先生も、スワミジも講義の中で、
The time has come
と言っていた。

間違いなく、人生で最も、The time has comeを集中的に耳にした期間です。


私自身、存在の奥底から湧き出るように、
The time has come.
と溢れてくるのに、
一方で、私の顕在意識はどんどん暗く重く塞ぎ込むような気持ちに覆われていった。


The time has come.
大きく前に押し出される感覚、
大きく前に進まなきゃいけない感覚。

来たよ、時が来たよ。
今がすべての叡智を思い出す時だよ。
生まれてきた意味をすべて理解する時だよ。

The time has come.
もう全てが始まるよ。
もう後回しにできないよ。

時は満ちた。
ユニバースは整った。

さぁ、扉を開けて、表に出なさい。



私自らが何かを起こそうとするのではなく、
ユニバースの方が既に動き出して、私を巻き込んでいくような感覚。

うっかりしているうちにユニバースが動き出して、
次元が上昇して「しまえば」、
その先が全く見えなくなってしまうという不安感。

これまでの延長線上にはない未来。
だから、その時の自分には、この先がどうなっていくのかが全くわからなかった。

単純に、計画ができないとか、先を決められない不安ではなく、
当時の私にはまだわからない、とにかく意識が深く深く落ちてしまって、
もうどうにも魂の道を歩けないような絶望感を覚えていた。

表面的には、リシケシでの計画を人に話しては盛り上がり、
外国人たちと本当に環境の為になるのはどういう事か、
本当に、肉体的にもスピリチュアル的にも健康でいる為に必要な食物が何なのか、といった話で持ち上がるだけでなく、
数年来の顔見知りである地元の人たちに再会しては、
「協力するから!」
「うちのカフェのキッチンいくらでも使っていいからね!」
「すごく良い農家さんを知ってるよ!」
などと言った話をして、充実していたのにも関わらず。


先生の話を聞いては魂が震え、涙が溢れ、
どんどん「私」という意識、認識が崩れていく気がしていた。

その最中にいる私には、私という認識が、自我が崩れていくことは、
とても恐ろしいものだった。

私という認識が崩れていっている、という事をどこかで感じつつも、
ハッキリとわかっていた訳ではない。

こうやって言葉にしてしまえば、
程度の差こそあれど、これまでにも何度も経験してきた事と同じになってしまう。


でも、これまでとは明らかに違うレベルで、
深く深く落ちていき、
depression (鬱)
深いところへ押さえつけられるような、押し込められるような、de press されるような感覚に落ちていた。


それに対し、先生たちは皆、とても嬉しそうに笑って言った。


「とても良い!
 君は今、変容しているんだ。
 変容の最中はそう思って当然だ。

 それは、君が霊性の道を後退したから起こっている訳ではないし、
 君がまだ悟っていなかったから変容が起こっている訳でもない。

 君の意識が、これまでよりも更に高い次元へと変容しようとしているから起こる自然な現象だ。

 悟りや覚醒したら、もう落ち込んだり悩んだりする事がないと思っている人は多い。
 しかし、私たちは、無限に進化する存在だ。
 私たちは、際限なく進化し続ける意識だ。
 
 その変化に委ねなさい。
 モチベートしたり、辛い気持ちを無視したり、元気を装う必要はない。
 その感情と感覚に寄り添いなさい。

 The time has come.
 君は、目覚めの前にいるんだよ。
 夜明け前には、光が訪れることが信じられなくても、
 太陽は必ず登ってくるから、その時を待ちなさい。」

一年経ってようやく振り返る事ができたくらいに、
その時期の変容は私を大きく変えた。


ヨガの教室を締め、
瞑想を続けていく中で大きくなっていった、師への違和感と向き合い、
決死の思いで何年もかかってそこを離れ、
ツインソウルに出会い、魂の隅々にまで明かりを灯され、隠してあったエゴや醜く消化されていない思いを炙り出されながら、

愛とは何か
真実とは何か
魂とは何か
肉体とは何か

なぜ生まれてきたのか

解脱以外に求めてきた願いは何か

一般的な社会の、ごくごく普通の生活の中で、
それまでの修行人生とは違う形で魂と向き合った数年間が終わり、

また、ヨガの世界に還ってきた、と感じた。



ただ、その半年前や、6年前のような抵抗はもう感じなかった。

バドリナートへの旅 5

神が私に望む事が、
ヨガなのか?ビジネスなのか?

そんな事はもうどうでも良かった。


私が、私の魂に還り、私が私の本質へ還り、
私の魂が、私の本質が表れていく現実を生きればいいだけ。

それを、メインの活動として伝える必要があるのか、
サブの活動として伝えていくのか、
本質から見れば問題ではない。



意識のどこかではそう落ち着いては思っていても、
不安や恐れはザワザワと私の中に存在した。

静かに一人で過ごし、
特別することも特になく、
何もする事がない日々をしばらく過ごした。


ある人は、暗いよ!!もっとハッピーハッピーに楽しく生きよう!と私を誘い、
ある人は、私の在り方を「とても波動が静寂だ」と評した。

私は自分が決して暗いだけの人間ではないことを知っているから、
明るく生きようと誘われても、特に心が揺れる事はなかった。
「そういう気分になったら楽しむから大丈夫だよ」と。

しかし、「静寂」と褒められることには抵抗を覚えた。


・・・静寂なのではなく、私はDepression の状態にいるのだ!!

と。




ずっと後になって、先生たちが言っていた変容の途中という意味がわかったし、
「静寂」の意味がようやくわかった。







続きます。











 



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