魂の在り方と意識・感覚

オーストラリアの山火事について

At Solitude Farm

インドのパーマカルチャー農場&カフェでボランティアしながら学んでいます♪ 
ブルーピーフラワーの収穫中(^^)

さて、オーストラリアの山火事について。
ちょっと感情的なので嫌いな方は読まないでください。

考え行動することを先延ばしにしない

祈りだけでもなく、寄付だけでもなく、私達の日常生活を見直す事を、これ以上先延ばしにしない事が大事。
日本人、
と一括りにするのもどうかと思うけれど、少なくとも、日本の私の世代(30代前後)にとって、世界でこのような規模の山火事が起きても、テロや戦争、大虐殺が起きても、どこかで自然災害が起きても、

「祈ってみたり」
「寄付をしてみる」

事で自分は良いことをした、「ちゃんと行動した」と済ませてしまう人が多いと感じています。

なぜなら、子供の頃から、それが良いことって学校で教わってきたから。
先生はそれ以上の事を教えてくれなかった。

どこかで傷ついている誰かや何かに心を寄せる事が出来れば、道徳的に宜しいという事しか。

それ以上に私達に何ができるか、どうするべきかを訴えたり自分の頭を使って考えようとするとどう言われてきたか。

少なくとも私は、小・中・高、様々な先生に

「理想が高すぎる、あまり真剣に考えると自分が大変だぞ」

と考える事を放棄するように言われてきました。

。。。いつまで同じ状態でいるんでしょう?


私達が今日食べているもの、使っているもの、どこでどのように作られてどうここまでたどり着いたか。

マーケティングの言葉に踊らされず、自分の頭を少し使って、少し意識してみるだけで見えてくるはず。
難しい事じゃないし大変な事じゃない。

人間が雑食動物か草食動物かを議論する前に、肉を食べる事を正当化したいのであれば、その動物がどのように育てられどのように殺され、どう運ばれてきたのかを考えてみて欲しい。

何故オーストラリアの自然で焼け死んだ動物達に同情する事が出来るのに、生まれてから自由に歩く事も兄弟達と遊ぶ事も出来ず同じ飼料を与え続けられ、命の喜びも知らないままに殺される、可愛い我が子を産んでもその瞬間から引き離される、その動物達には同情出来ないのでしょうか?

グアテマヤの代表 太田さんがマヤの森が燃えているのを見てマヤナッツを広めることに決めたと聞いて、私も少しばかり販売させて頂くことにしたのは、マヤナッツの栄養的側面を伝えたい訳ではなく、

「何故マヤの森が燃えているのか」

を伝える為だった。

現地の方が肉を売って外貨を得るために森を焼き畜産を行い、数年で土地が使えなくなるのでまた新しい森を焼く。

あなたが食べるお肉には、生産と輸送、パッケージングにかかったCO2だけでなく、その土地が森だった場合に生産される筈だったCO2の損失分も足してください。

そこまでしてそれを食べたいですか?

文化だから?
必要だから?

違いますよね?

「考えてなかったから」ですよね?

私がヴィーガンにならないのには理由があります。卵は私の身体が必要としているから。
(でもあまり食べるとアレルギーっぽくなるから時々)

牛乳は、豆乳やアーモンドミルクなどの代用品の方が自然じゃない事が多いから。
(ロングライフパッケージや輸入品)

日本にいる時は基本豆乳ですが、インドでは豆乳は輸入品なので買いません。
輸入してまで摂りたいものじゃないから。

本当にオーストラリアの山火事の事に心を痛めているのであれば、もっと意識的に生きることの方が、一時的な寄付や祈りよりもずっと役に立つと思います。

もし、その土地に生物多様性が残されており、種々様々な植物が生い茂り、そのたような植物の根が大地の奥深くまで伸び、そこに多種多様の微生物や昆虫や生物が生息していたら、土地は乾いていない。
水分が保持されているのです。

山火事も、土砂崩れも、増えてる根本原因は同じだと思う。

それを自然災害と呼ぶのかどうか。

これを地球が繰り返してきた歴史だと、温暖化と氷河期が交互にくるのは自然な事だと思うのかどうか、それは人それぞれの価値観だと思います。

でも、もし何か自分にできる事をしたいと思ったのなら、出来ることは無数にある。

少しだけ肉の消費量を減らし、少しだけゴミが出ないような商品を選び、極力、遠くのものよりも近くで作られたものを選ぶ。
昔は手に入らなかった海外の食品を、本当に日常的に食べたいほど欲しているのかな?と自問してみる。
たまには欲しいけれど毎日は要らないな、とか、チョコはやめられないけれどコーヒーは別に好きで飲んでるわけじゃないかも、とか(笑)

人によって好みが出てくると思う。

好きな物を無理に辞めなくたって、無駄なところを変えるだけでも、社会は変わるよ。

P.S. ちなみに、マヤナッツを飲んだ時、力強いエネルギーを感じた。
鈍感な人は気づかないかもしれないけれど、全てのものにはエネルギーがあって、その物自体が持つエネルギーを私達は受け取っている。
だから、良い循環の中で作られ届けられた物を口にすれば私達はその良いエネルギーを取り入れるし、環境を破壊したり搾取の上に成り立っているものを取り入れれば、無意識のうちにそのエネルギーを取り込んでいく。
もし幸せを感じられないのなら、良い行いをされている方の商品を買うと、身体に幸せが蓄積されていくよ。
私はグルガオンでの「良い」と正反対の商品に囲まれた生活の中でますますそれを確信した。