魂の在り方と意識・感覚

過食


20歳から、22歳頃まで、過食してた。(嘔吐はあまりしない)
ふつうに、10人前くらいは胃に入ったと思う。
泣きながら、怒りながら、口に運ぶ動作の一回一回が「自分を殺す」願いだった。
意識として自分を殺すために、怒りを口に詰め込んだ。

でも死なない。
むなしくてむなしくて、息ができなくなるまで、もしくは食べながら眠ってしまうまで止められなかった。

スーパーへ入って、手当たり次第にカゴヘ詰め込んだ。
小さな頃から、「欲しいものは買ってもらえて当たり前」な生活に、つかりすぎていたのだと思う。

その後、過食は止めたし、精神的にも少しずつよくなっていったし、
傍目には「普通」だったと思うし、

食欲だけじゃなくて、物欲さえも、だいぶコントロールできる(つまり節制できる)くらいになったと思ってた。

けど、それ以上に失くしたかった。

食欲も、物欲も。

自分を苦しめ、こんなにも虚しくし、そのくせそれを満たそうとしても決して満ちることのない、

満たそうとすればするほど、虚しさしか与えてくれない 「欲」 というものを、手放したかった。

どうして、インドへ行ったの?

って聞かれると、いつも
「ふと、今なら行けるって仕事辞める直前に気づいて。海でバカンスよりも、山でヨガのほうがリフレッシュできると思った。」
って言うのだけど、

ずっとどこかで思ってた。

「何もないところへ行かないと、私はこの溢れた物質の地獄から抜け出せない。」

と。

うちは両親共に、親が会社を興していて、その親(私の祖父たち)に翻弄されてきたのだと思う。
恵まれた時期もあれば、とても大変だった時期も・・・。

だから、子供には絶対に惨めな思いをさせたくないと、育ててくれた。

「そんなに、与えないで!!」

って私は悲鳴をあげてたのに、私自身が、自分の中にある「もっと欲しい、もっともっと欲しい、満たされたい」という欲望に打ち勝てなかった。

その矛盾だけには気づいていたから。
でも抜け出せないと思ってたから。

インドへ行って、なおかつ「ヨガの道場」で、何もない、世間と離れた修行の場所にいたら、抜け出せるんじゃないか、と

ふと思いついて、思いついてから1ヵ月半後には本当にインドへ来ていた。

2回目の海外。
でも、1回目は親戚の家を訪ねるという、難易度で行ったら 「とても易しい」しかも「安全」、世界一平和なニュージーランド。

なのに、いきなりインド一人旅。

過保護な親が絶対に反対すると思った。
計画を立てて、報告すると、二人して

「ふ〜〜ん、あ、そう。」

私は拍子抜けして、「インド行くんだよ?一人だよ?この間、○○くんがインドから帰ってきて肝炎になった、あのインドだよ?わたし、本当に行くよ???いいの?
他の慣れた人ならともかく、(こんなしっかりしてない)私が行くんだよ?」
と聞いたら、

両親共に、
「あなたは、自分で決めたら誰がなんと言おうと、やるでしょ。人の話なんか聞かない。
 家出なんかされて行方不明になったら困る、ちゃんとここへ帰ってきなさい」
と言われた。

ずっと私を見てた友人も、
「お母さんたちはさ、あなたがしっかりしてきたこと、ちゃんとわかってるんだよ。
 ちゃんと気づいて、取り組んで、正して、良くなってきたこと、成長してきたこと、今なら信頼できるくらいになってること、わかってくれてるんだね。
 前は、あなたがぶれてるから、何をやるって言っても心配だったけど、今なら大丈夫だって、思ってくれてるんだよ。」
と言ってくれたけど、自分でもそんな気がした。

親は私がやることなす事反対するって思ってたけど、
調子がいいのか悪いのか、決断がぶれてる中であせって決めてるのか、落ち着いて胆を据えて決めているのかくらい、わかってたんだな、と。

そして今、以前は親が与えてくれる「私が欲しいと思ってるもの」にさえ、
「与えないでよ!!」でも、「欲しいよ!!」
と理不尽に怒ってたけど、

今は、一緒にスーパーへ行って
「好きなものいっぱい買っていいよ」
って言われても、
素直に
「わーーーい ヾ(@°▽°@)ノ」
と思いながら、
「それだけでいいの?」
と毎回聞かれるくらい、ちゃんと適量を手にすることができるようになった。

(あ、「欲しいものがないや、まぁ、今日はいらない。」って事が一番多くなった。)

でも、買って帰るとお腹もすいてないのに、食べちゃって、
「あー、むさぼったなぁ。笑」
って思うんだけど、親には

「少食になったね〜。食べなくなったね〜。」と言われる。

私「でも、よその人よりは間食多いけどね。」

母「いや、以前に比べて、よ。酷いときは別として、調子良かったころでももっと食べてたじゃん。」

インドで「足るを知る」って感覚も積み重ねてるからかな。断食とかで。

「足りた。満たされた。満足。」 

 充分  って、思えることは、嬉しいな。と思う。

ごちそうさまでした。