魂の在り方と意識・感覚

愛犬の死

先日、実家の犬ベルが亡くなりました。
19歳3ヶ月。
最期は眠ったまま静かに息を引き取ったそうです。

亡くなる前日のベル

充分長生きしてくれたし、最後は1年以上一緒に暮らせたし、
日本にいても「犬と過ごしたいから外に働きに行きたくない」という気持ちを優先してずっと家にいたので(笑)、
もっと一緒にいたかったとか、もっと生きていて欲しかったという後悔はありません。


それでも、すごく悲しい。


インドに渡航する前1ヶ月ほど、何度もベルに言いました。
「お姉ちゃんが渡航するまで、元気にしててね。
 ベルが倒れたらお姉ちゃんインド行けなくなっちゃうからね。」と。

耳はずっと聞こえていないようでした。
(時々微かに聞こえていたのかもしれない。
おばあちゃんも亡くなる前、耳が遠くなっていたけれどたまによく聴こえる時があったから、そういう波があるのかな、とは思っていたけど)

だから、ベルに話しかけても聞こえていないだろうと思ってた。

でも、ベルは私のお願いをちゃんと理解していたのか、
私が家を出たその日の夜にてんかん発作が起き、そこから全く立てなくなりました。

私が出発するまでは自分で立って少しは歩けていたのに・・・。

本当にギリギリまで頑張ってくれてたんだな、と思った。



私が出発する2日くらい前に母がベルの為に買ったトラベルピロー
座るときにもたれやすいように、って買ったのに
すぐに寝たきりになってしまった。

インドに来て1、2週間してからビデオ電話して呼びかけたら、声が聞こえたみたいで必死に顔をあげてキョロキョロしてた。(でも動くのはほぼ目だけ)

耳は聞こえていないと思ってたのに。
しかも、携帯からの声でも私ってわかるのかな??とビックリ。

去年、日本に戻った時、ベルはもうすごく弱っていていつ亡くなってもおかしくないと言われていたから日本帰国後の隔離期間中にでも死んじゃうんじゃないかと思っていて、
再会できたときはとても嬉しかった。

気力で1年、寿命を伸ばしてくれていたのだと思ってる。

ベルが発作や体調不良から生還するたびに獣医さんびっくりしてたし。

昔から人の言葉をよく理解する子で、
「おばあちゃん呼んできて」だけじゃなく、
「おばあちゃんにご飯だよって言ってきて」も出来ていました。

毎日母がご飯を作る様子を監視して、「そろそろ呼んでくる?」「もう呼んできていい?」ってソワソワして、
「ご飯できたから・・・」って話しかけたらピューーーっとおばあちゃんの部屋まで走って行った。

待ちきれない時には、ご飯ができたなって勝手に判断して
おばあちゃんを呼びにいき、
おばあちゃんが「ご飯なの?」ってリビングにきて、
お母さんが「まだもうちょっとかかるよ」って言うからおばあちゃんが部屋に戻ったのに、
ベルはまた少し経って勝手に呼びに行っておばあちゃんがまた歩いてくる・・・
という事もよくありました。

若い頃は、みんなのご飯が終わらないとベルはご飯もらえなかったからね。
早く自分のご飯が欲しくて必死だったのです。

親戚の名前もわかってたし、初めて聞く名前はちょっと考えてから、「この中で知らない名前はこの人だけだな」って判断して(るのか)、ちゃんと正しい人を呼びに行っていた。

ベルが2歳の頃、私が進学で遠くに住むことになって、初めて帰省する日の朝。
「今日お姉ちゃん帰ってくるよ」
って言われたベルは、半日以上ずっと窓の外を見て私の帰りを待ち続けてた。

10年前から私がよくインドへ来るようになってからは、スーツケースを抱えているとどこかへ行ってしまうというのがわかるようになったみたいでした。
これは飼い主にしかわからないかもしれないんだけど、確実に理解しているんですよね。

2、3年前に私が空港に出発したときは、厳重にしていたバリケードを突破しただけじゃなく、
普段のお留守番の時には絶対に来ない玄関の方に来ていて、
しかも玄関の段差に落ちてうずくまっていたらしい。
多分、追いかけてきたんだろうと思った。

ミニチュアダックスは腰を痛めやすいなんて事も知らなくて、
仔犬だったベルのジャンプ力に喜んでは、兄と私でベルを高く高くへとジャンプさせて
結構大きめのソファの背もたれまで駆け上がらせていた。

うち、巨人族なので家具がいちいち大きめなのですが、そのせいか、
ベルもたくましく発達して、一応血統書付きのミニチュアダックスなのに
「もうミニチュアダックスの範疇を越えましたね。これはダックスです」
って獣医さんに言われた。w

でも肥満ではなかったので、単純に「大きい子」なのです。

我が家の子ですね。

(ちなみに私165cm、母方の親戚の女性陣の中では平均値。
 163cmの母はずっと「小さい」扱いされていたらしく、5ミリ見栄を張って163.5って言ってます。)

つらつら書きますが、

実は同居していたおばあちゃんが近所でも有名な大の犬嫌いで、犬が道にいるだけでその道が通れないような人だった。(もちろんリードしていても)

でも、私が学校に行かなくなって塞ぎ込むようになった時にセラピードッグとして
「絶対におばあちゃんの部屋には行かせない。
 おばあちゃんがリビングに来る時はケージに入れる」
という約束でやっとベルが迎えられた。

怖がりの寂しがりやで、1人にされるのが耐えられない子みたいで、ずっとクーンって泣いてた。
鳴いててもほっておいていいからね、って言ってたのに、

元小学校の先生で保母さんもやってた祖母は、
「小さい子が鳴いてたらほっておけない」らしく、
家に帰ったら犬から2メートル離れたところにおばあちゃんがちょこんと座っていた。

おばあちゃんが犬嫌いなので、室内犬なのに室内で鎖に繋いでいたのですが、
ベルは鎖の届くギリギリまでおばあちゃんに近づいて座っていて、
おばあちゃんはソファの反対の一番端っこに座ってて。

日を追うごとに、少しずつその距離が縮まり、
ついにおばあちゃんが横でベルを撫でながら2人でお留守番をするように!!

もうそこからはおばあちゃんの溺愛が始まり、
どこかに出かけてミニチュアダックスのブラックタンの絵が描かれたグッズが売っていたら
「ベルちゃんが売ってた」と言っては嬉しそうに買うただの犬好きになってたw

おばあちゃんが日中ほとんどを寝て過ごすようになった頃は、
ベルはまるでおばあちゃんの看病をするかのようにずっと一緒に布団で眠るように。

甥っ子が小さい頃にソファで寝てたら、
まるでお守りをしなければいけないかのように横に入り込んで
「キリ!」とした表情で伏せてるのも面白かった。

若い頃も可愛かったけど、
老犬になってから思い出すと若い頃は可愛いっていうよりとにかく「面白い」を提供してくれる子だったな、と。

私、インドに移住した後に、おばあちゃんの最期はちゃんと見送ったんです。
色々なことが重なって、なかなかインドに戻れず、たまたま長期で日本にとどまっていた時。

もっと前になくなってておかしくなくて、私が日本に戻ってからも何度も「覚悟してください」って医者に言われて。
持ち直してお医者さんに「正直なんで生きれているのかわからない」とすら言われていたおばあちゃん。

元々、本人が延命治療をしないと宣言していたので、一切延命治療をしなかったのに
だからこそ「もう次発作があったらダメですよ」って言われていたのに、
見事に老衰で自然になくなった。(病気はいっぱいあったけど)

最後の最後までご飯はしっかり食べて亡くなりました。

私は、祖母の葬式をして、最低限の片付けの手伝いをして慌ただしくインドへ。

「え、みさちゃんなんで日本にいたの?」
ってお葬式で驚かれたのも1、2度ならずw


ベルも、寝たきりになりぐったりして日に日に弱ってはいても、
前日までミルク(ご飯)はごくごく飲んだそうです。

おばあちゃんそっくり。
大柄な女で、ボケてもご飯はしっかり食べて。
最後はすっかり小さく可愛らしくなって、
静かに息を引き取って。

きっとおばあちゃんは天国でベルをずっと待ってたと思うから、
向こうで喜んでいることでしょう。



ちなみにおばあちゃんは、一度インフルエンザで高熱にうなされて、
もう歳だしこのまま亡くなっちゃうかもって本人も思ってた時に、
ガンジス川の真横の私の部屋に現れましたw

だから、おばあちゃんが亡くなる直前、インドに戻る予定が色々な小さなタイミングの悪さが重なって2、3ヶ月遅れたのも、
おばあちゃんの「思い」で渡航を引き延ばされてて、
もうこれ以上引き延ばせないってなった時に、私に見送って欲しくて死に際を決めたのかなぁって思った。

おばあちゃんもベルも、死を他人にコントロールさせず、自分で決めていったのかなと思うと誇らしいし、
私もそうでありたいと思う。