先月、印鑰さんのアグロエコロジーについてのお話を伺い、
改めてアグロエコロジーが、農業を中心としながら社会の在り方や、そもそも自分を含めた命とは何かと私達の在り方、生き方を問い直すような概念であると思った。
この印鑰さんの投稿を是非読んでみてください。↓
オーガニック栽培のりんごと、慣行農業のりんごの微生物量の違いとその背景
https://www.facebook.com/InyakuTomoya/posts/4847307461962712
プラーナ(気)は、生きているエネルギーの事である。
プラーナは、単なる呼気吸気、空気や、5元素の1つである風とも異なる。
プラーナがなければ、死んでしまう。
長年ヨガを行じながら体感としてプラーナに対する理解が深まっていくと共に、微生物を感じるようになっていった。
一般的な美味しさとは別の美味しさを感じるのは、「いのち」の多く存在する食物。
緑豊かな風景の中に立っても、命を感じない場所も多い。
大地(土)の中の、大気中の、微生物が少ないんだと感じる。
いつからか、プラーナの正体は微生物達なのではないかと思っている。
プラーナ、微生物が豊富な場所 (私にとっては、Navdanya farmとAurovilleのソリチュードファーム)では、すぐにお腹がいっぱいになり、しかも他のどこにいる時よりも体が軽くエネルギッシュになる。
不食のヨギが、プラーナだけを食べて生きる事ができるのは、微生物が豊富だからではないか、とさえ思っている。
COVID-19対策といって殺菌され、死んだ空気を吸い込む体は、どうなっていくだろう?
目に見える、数値で観測できる事象だけに固執した命の宿らない食物を食べ続けて、どれだけのエネルギーを得られるだろう?
肉が手放せないのも、食にエネルギーがなさすぎるからだ、と思う。
その食肉だって、家畜の餌や多用される抗生物質などの薬を考えれば、どんどんエネルギー値の低いものになっていっていると思う。
食べても食べても満足できない。
食べても食べても力がわかない。
生きる気力がわかない。
自殺が増えているのだって、
死んだように生きてる人が多いのだって、
この環境に存在する微生物量=いのち量、食物に存在するカロリーではなく「いのち」の値を想像したら、当たり前に思う。
アグロエコロジーは多様な分野に渡って語られる社会運動を伴う活動のことで全体像を掴みにくいですが、簡単に知るならこの本がおすすめ ↓
追記
そもそも、空気ってなんだろう?
微生物が存在する空間も、微生物が存在しない空間も、そこに窒素、酸素、二酸化炭素などの気体が存在すれば、「空気」と呼べるのかな?
誰か教えて!!
私の疑問点は小学生の頃から成長してないな。笑
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