魂の在り方と意識・感覚

他人の心(エンパス日記)

エンパスというキーワード検索でやってくる方が多いようなのですが、
それだけ、困っているエンパスさんは多いのかな?

かくいう私も、やはり何度も「エンパス体質」に悩まされています。

他人の心を読んでしまう。。。

その心は、本人すら気づいていないこと。

いつでも、誰の心でも、入ってくる訳じゃない。

でも、どうしようもなく、わかってしまう時があるのです。

そして、その心に反応してしまうことは、社会ではNGです。

相手は何もしていない。何も言っていない。

その心を読んでしまって、傷ついたり怒ったりしても、私が悪い。

(実際に怒られても何かされても、それに反応して自分の感情が引き出されれば、それは自分の責任ですが・・・。)

そう、エンパスを乗り越えるためには、自立するしかない。

一般的な社会では、実際に口に出したり、行動に表さなければ、
どれだけイライラしていても、怒っていても、不満を抱いていても、
それを「表に出した」ことにはならない。

だから、許される。

彼は何もしていない。彼女は、何も怒っていない。

初めて、Aさんを見たとき、「うわぁ。。。」って怖くなるくらいの怒りを抱えていた。
(あ、全然ヨガとか関係ないです。仕事の話)

何怒ってるの?誰に怒ってるの??

と気になった。
そこにいる誰かと喧嘩でもしているのかと思った。
あまりのイライラと、態度の悪さに、こちらもトゲトゲしてしまう。
思わず、
「あのねー、こっちだって、そんな態度で来られたら、関わりたくないっつーの!」
って言いたくなるのを我慢して対応するも、イライラしてる自分がとても嫌になる。

その後、だんだんと 「あ、本人には、自分が怒っている自覚がないんだ。」と気付いたけれど、
そのイライラが容赦なく流れ込んでくる。

自覚のない人間ほど、憎い。。。

会うたびに、私はその人に対する恐怖感を増してしまい、触発されるのを恐れる。

もはや、悪循環。

(あ、でも気付いたのですが、あまりに波動が違いすぎる「年中不満だらけさん」は、きっと誰が見ても「あぁ、不満気だよね」ってなるけれど、あまり乱されないんですね。
やはり、キャッチしちゃうのは、自分とその人の間に「何か」があるのだろうと思います。)

私が、勝手に相手の心を勘違いして、
私が、勝手に、相手は怒ってる、イライラしてる、不満を持ってる、って思い込んで、

私が、勝手に怒ったり傷ついたりしただけ。

ということになる。

「yoga Mukthi の勘違いだよ。」

って言われちゃうのです。

もっと言えば、「被害妄想じゃない?」なんて。

それが、何よりも辛いところ。

エンパスさんなら、わかるはず。このやり取り。(説明が下手でごめんなさい。)

しかも、なぜかエンパスさんは、自分の心も読まれやすい。嘘が全くつけない。

乗り越え方は、ただ一つ。

真に自立すること。

エンパス能力があるのは、損ではないと思う。

「本人さえ気づいていない本心」すらを、受けとめるだけの器があるから、その情報が入ってくるんだ。

魂が真に自立する意気込みがあるから、エンパスという課題すら引き受ける事が出来るのだ。

外で何が起きようと、それに心をかき乱されない不動の心を作ること。

それは、相手が口に出そうが、心に秘めてようが、おなじこと。
誰かに何かをされても、自分の心の処理は自分の責任。

本当の意味で、強くなるしかない。

でも、誰だって、完璧じゃない。

誰かの心を受け取ってしまって、反応してしまったら、
思い出さなければいけない。

自分が時に、不要に他人の心を読んでしまう。知ってしまう。という事実を。

相手は、自分の心に気づいていなくて、そのイライラは、私に向けられているものではないのだと言うことを。
もしかしたら、私に向けられているのかもしれないけれど、
その人は、それを表には出していないのだ、まだ何も言っていないのだ。
もしかしたら、本人だってそのトゲトゲしさを自覚しているかもしれないけれど、
それを口に出さないようにしているのだ。

と、言い聞かせなければいけない。
(だいたい、態度に現れるんですけどね)

そして、思い出すこと。

その人がいくらイライラを抱えていても、表に出さなければ、他の人達にはわからないのだ。

そのことをよく頭に留めておかないと。

地球全体がすごいスピードで変化している今、益々、人の感情が波立ってくる。
エンパスには、余計に辛い時期。

それでも、忘れないでいたいし、
同じように苦しんでいる人がいるのなら忘れないでいて欲しい。

自分が「エンパス」を選んだのだ、と。
自分が今のこの状況を選んだのだ、と。

神である自分自身が、この三次元の世界で「何かを」学ぶために、
最適な状況を用意してきたことを。

だから、既にそれは「最善へ」と繋がっている途中の段階として「最善」である。

誰もが、自分の視点からしか世の中を見ることが出来ない。
どれだけ視野を広げても、主観というフィルターを外すことはできない。

つまり、エンパス能力により同調してしまった振動数から感じたものだって、
それが世界の全てではないのだ。

鈍感な人にはわかりっこない情報かもしれないけれど、
もっと別の角度からの情報だってあるかもしれない。

自分の波動が上がれば、さらに高い視点からそのエネルギーを読み取り解釈することができるかもしれない。

所詮、それも情報の一部でしかないのだ。

リーダーの視点、というのを、子供の頃に良く教えられた。
「その他大勢」は、自分の立場からしか状況を見ることが出来ないが、
リーダーは全く別の高さから、全体を見渡せなければいけない。
リーダーはその他大勢の視点を理解できても、その他大勢はリーダーの視点を理解できない。
優秀なリーダーほど、全く違う角度から考えているからだ。

だから、突き抜けろ、と。

もちろん子供の頃の私は、そんなこと言われたって
「無理。理解されたい!理解してよ!」
って思いに悩まされていたのだけど(笑)、

自分がどの立場にいても、
私が見ている世界は、私の主観の世界でしかなくて、
他の人に見えている世界は、違うのだという事をよく心に留めておきたい。

誰も同じ世界には属しておらず、
誰とも全てを共有することは出来ない。

共有するところはあっても、一致することはない。

自立。

自立を阻んでいるものは何か。

「自分以外の何かのせいであってほしい。
自分は悪くない。」
という気持ち、かな。


Yoga Mukthi