魂の在り方と意識・感覚

叱ってくれる人

叱ってくれる人がいない、ということは、とても可哀想だと思う。

もちろん、自分の怒りを発散させるために怒ることではなくて、
きちんと「育てて」くれようとする人が、いない、ということほど、残念な事はないと思う。

「育たないな」って思われてしまっては、育ててくれる人がいなくなる。

だからこそ、今の自分がどれだけ未熟であっても「育ててみたい」と思ってもらえるような人でいること。
死ぬまで、それを忘れずにいなければいけない、と思った。

学生の時、臨床実習先で。

実習の日程が終わって、最後の評価を担当者から告げられた。
言われたことは、

「8しかできない人が、10を目指して頑張っていても8しかできなかった。というなら、それは評価できる。
 でも、12できる能力の人が、最初から9しかやってこなかったら、こちらは叱りたくなる。
 もうひとりの実習生が、同じだけのことしかやってないのに、褒められて、
 あなたは、同じだけのことをやっているのに、褒められないのは、手を抜いているようにしか見えないからだ。
 納得できないかもしれないけれど、「頑張って」いるようには見えない。
 自分はやっているつもりかもしれないけれど、その誠意が伝わってこない。
 学生のうちは、学校が教えてくれる。でも、卒業したら、誰も教えてくれない。
 媚びるということは好きではないかもしれないけれど、人に気に入られなければ、教えてもらえない。
 自分が損をするだけです。
 特に、女は男性よりも感情的だから、気をつけなさい。
 もうひとりの実習生のように、「人に好かれる」術を持っている方が、うまくいくことを学びなさい。」

戸惑った。結構きつめの言い方をされたので。

1つには、私は、もうひとりの実習生よりもずっと「できない」と思っていたのだ。
だから、彼の方が評価が高くて、色々調べることもできて当たり前だ、と思っていた。

私は、7しかできないけれど、頑張って、8を取ったと思っていたのだ。

でも、担当者の評価は違った。
12が取れるはずだ、と。なのに、8しかやってこなかった。そのことが、人を不快にさせる。と。

その時は、うつ病が再発しかけて実習にもいけるかどうかのギリギリだったから、
私は泣きながら必死にやっているつもりだったんだけど、
それは、本当に私の視野が狭くなっていたから色々と見えていなかったのだと思う。

でも、その時は、もう思考回路がパンクしてしまって、何を言われているのかよくわからなくなってしまった。

色々と指摘されて、たくさんの箇所を直された。
ただ、ショックで、恥ずかしくて、翌日からやり直したいと思った。
でも、今更どうしようもない。今日が最後なのだ。
言われたことは事実で、私の態度は、人を不快にさせていたのだと気づいた。

もうひとりの実習生は、褒められて、すぐにフィードバックが終わっていた。

学校へ戻って、教官と実習の結果を見ながら面談があった。
「続かないかもしれないっていう状態で(うつ病の状態が)始めたのに、最後までできて良かったね。
 しかも、すごく成績が良かったよ。いいことばかり書いてある。
 もうひとりの実習生よりも、評価いいよ。

 ・・・できない、できないって言ってたのに、頑張れたんだね?」

 涙をこらえながら、その事実をしばらく受け止められずにいた。

「でも、最後のフィードバックで・・・頑張ってないって・・・T君よりも手を抜いてるって・・・言われました。
 12できる人が、8しか持ってこなかったら、不快になるって。
 でも・・・私、行くだけで精一杯で、8やっていくのだって精一杯だったと思って・・・」

先生は言った。
「でも、高い評価もらってるよ。他の生徒たちと比べても、ここまで評価されてるのはなかなかない。
 よく頑張ったと書かれている。
 その人は、評価してくれていたんだよ。」

報告書?を見せてもらったら、私が頑張った部分を、きちんと学校に伝えて評価してくれていた。
(頑張れなかったと思っていた項目は、書かれていなかった)

叱られた時は、反発心すらあったけれど、
担当してくれた実習先の先生の、「大人」の大きさを垣間見た気がした。

自分の欠点を指摘されるのは、心地よいものではないけれど、
特に、自分の戒めがたい、よりコアな部分の欠点を明らかにされたときには、
頭でわかっていても、心が拒絶をしてしまうけれど、

そんな子供の私の反応すらもきっと、わかった上でくれたアドバイスなのだと思った。

言う方だって、欠点を言わずにニコニコと良いところだけ言ったほうが楽だ。

それでも、あえて、私に欠点を教えてくれた先生に、

ずっと感謝しています。

それから何年も経って、やっとわかったことがある。

最後のフィードバックの時、先生(女です)は、
「特に、女は女に厳しく、感情的になるから、気をつけなさい。」
と言いながら、
ずっと少し怒り気味に話していた。
だから、余計に怖かった。

けどあれは、先生も言いたくないし、言うのが怖い(?)ことを敢えて、勇気を出しながら話していてくれたからなのだと思うようになった。

なかなか出来ることじゃない。

相手の事を本気で思わなければ、言えることじゃない。

表面的な優しさを選択する方がよっぽど、楽だ。

だから、10年経った今でも、時々思い出しては、感謝をしています。

人生の中で、きちんと叱ってくれる人に、一体どれだけ出会えるだろうか。

図星のことほど、すぐには受け入れられず反発してしまうかもしれないけれど、

未熟な私を育ててくれる、たくさんの人たちに、感謝しています。