魂の在り方と意識・感覚

いじめの記憶に苦しんでいる人へ

「実は昔イジメられていた・・・」と言う生徒さん達

レッスンを重ねる内に、子供の頃の記憶を吐き出し、なおかつ嫌がらせを受けて辛かったと話す方が多い気がします。


私自身も、大変な嫌がらせを受けてきました。
先生にも保護者たちにも、私がいじめられていたという認識は全くなかったようです。
私(一人) 対 嫌がらせ隊(数人)
だったとしても、最後に負けるのは嫌がらせをしている方だったから。

でも、それに耐えるのは辛かったし、大変だったし、
ずっと「正しいと思う行為」を選択し続けよう、というプレッシャーを自分自身に相当かけていたので、

そんな辛い状況から解放された(中学を卒業した)あとで苦しんだ。

とても辛かったし、彼らを許すことも忘れることもできない・・・。
なぜ先生たちは私に「お前は強い。素晴らしい。」とより誇り高くあることを求めて、
他の人たちに低俗な事を止めるように指導してくれなかったのか。

先生は私に言った。
「忘れることが強さなのだ。お前は強いから、忘れることができる。」と。


いや、全然強くなんてなかった。
忘れたのではなく、一時的に心を閉じて感じなくしただけだ。


自分自身の心を、放棄するしかなかったのだ。


自分自身をどこかで捨ててしまったような気がして、
それを強要してきた環境が許せなかった。


いじめっ子が得をして、いじめられっこが損をする。


理不尽だと思ってきた。



でもここ数年、ヨガのレッスン以外でも人の心の奥と向き合うことが多い。


そして、感じる。




「いじめっ子の闇は根深い。」




硬く閉じていて、ほどけてくる様子が見えない。
そもそも、私とは心が行き交わない。


傷がそこにある事さえ気づきたくないみたい。


レッスンに通ってくる人達は、こんな風に心が麻痺してしまった人達によって傷つけられた人が多い。

でも、傷ついていても汚れていない。

だから、すぐ癒すこともすぐできるのだ、と。

誰だって、悪いカルマを積んでしまわない人はいないけれど、

いじめられていたとしても、その中で良くない行為だっていっぱいしてしまうだろうけれど、
大きく見ると、

いじめている方が積み重ねた悪いカルマは魂を重く暗くがんじがらめにしてしまう。

いじめられた側は、傷つけられていても、自らチリや誇りという悪いカルマを積んでしまった訳じゃない。

それってラッキーだ。


正直、私には(無自覚であっても)いじめっ子達の抱えている魂の汚れは向き合えない。
重すぎて・・・。



カルマは必ず返ってきます。

傷ついていた、という感情ととことん向き合って感じてみたら、
ちゃんと消えるものです。


悪いカルマを清算するよりずっとずっと簡単です。

だから、いじめられた側で良かったね。

と、思う私がいます。

傷つけられた側で良かったね。



相手は一番裏切ってはいけない、自分の良心を裏切っていたのだから。





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です